イジューム

この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。
  • イジュム[1]
イジューム
Ізюм (ウクライナ語) (IziumまたはIzyum)
イジュームの市旗 イジュームの市章
市旗 市章
位置
イジュームの位置(ウクライナ内)
イジューム
イジューム (ウクライナ)
ウクライナの地図を表示
イジュームの位置(ハルキウ州内)
イジューム
イジューム (ハルキウ州)
ハルキウ州の地図を表示
座標 : 北緯49度12分0秒 東経37度16分48秒 / 北緯49.20000度 東経37.28000度 / 49.20000; 37.28000
行政
 ウクライナ
  ハルキウ州の旗 ハルキウ州
 ラヨン(地区) イジューム地区(ウクライナ語版、英語版)[2]
 フロマーダ イジューム・フロマーダ[2]
 市 イジューム
人口
人口 (2021年現在)
  市域 45,884[3]
  備考 推計
夏時間 東ヨーロッパ夏時間[4] (UTC+3)

イジューム (ウクライナ語: Ізюм, 発音 [iˈzʲum] ( 音声ファイル); レーズンの意、ロシア語: Изюм[5])はウクライナ東部ハルキウ州で、ハルキウの約138キロ南東、そしてドネツ川両岸に位置しており、ドンバス地域の玄関口といわれる[6][3][7]イジューム地区(ウクライナ語版、英語版)とイジューム・フロマーダの行政中心地として定められている[2]。2021年1月1日時点の人口は45,884人[3]

歴史

この地域の考古学遺跡は石器時代に遡る[7]

イジュームに関する最古の記録は1571年に遡る。イジュームという地名は当地を流れるイジュメツ川に由来し、川を渡る浅瀬が古来より重要な交通路であり、モスクワクリミアを結ぶ重要な交通の結節点であり、後にはクリミア・ハン国に対抗するコサック連隊の拠点ともなった。1681年にはイジュームに要塞が建てられた。1684年には救世主顕栄聖堂が建てられた。

1765年にはイジュームは市の地位を認められた。1780年にはハリコフ県のイジューム郡の行政中心地となった。

第二次世界大戦の独ソ戦では1942年6月23日ドイツ国防軍により占領された。第二次ハリコフ攻防戦より前、イジューム西方には赤軍の突出部が存在していたが、ドイツ軍はこの突出部を根元で切り取り包囲し、赤軍に甚大な被害を与えた。この戦いでイジュームは激戦地となった。イジュームは1943年2月5日に赤軍により解放された。

2022年ロシアのウクライナ侵攻

詳細は「イジュームの戦い (2022年)」を参照

2022年2月24日始まったロシアのウクライナ侵攻の際は、親露武力派にとってはイジュームを押さえればマリウポリへ南進の拠点が出来、ハリコフ州とマリウポリを結ぶことが容易になるだけでなく、ドンバス地帯の非ロシア制圧地域を囲い込むために戦略的に重要な要衝なために激しい戦闘が繰り広げられ、市は壊滅的な破壊を受けていると報じられた[8][9][10]。同年3月17日には米国防総省高官によってイジュームがロシア軍に制圧されたと分析していると報じられ[8]、5日後の22日にはウクライナ軍が奪還を試み反撃をしているとも報じられた[9]

同年9月10日にはウクライナ軍が市街地を奪還した。 9月14日にはゼレンスキー大統領が出席して、市庁舎に国旗を掲げる式典が行われた[11]

経済・交通

イジュームには機械工業、光学産業、家具製造業などの工場が立地する。また交通の結節点であり、ハルキウ(ハリコフ)からホルリウカ(ゴルロフカ)を経てロストフ・ナ・ドヌに向かう鉄道幹線が通る。

気候

イジュームの気候は気温が低い温帯で年間を通して雨量が多い。ケッペンの気候区分では冷帯に属する湿潤大陸性気候(Dfa)に区分される。

イジュームの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
日平均気温 °C°F −4.3
(24.3)
−3.5
(25.7)
1.9
(35.4)
9.9
(49.8)
16.6
(61.9)
20.7
(69.3)
23.1
(73.6)
22.5
(72.5)
16.2
(61.2)
9
(48)
2.7
(36.9)
−1.6
(29.1)
8.3
(46.9)
降水量 mm (inch) 48
(1.89)
40
(1.57)
48
(1.89)
47
(1.85)
53
(2.09)
63
(2.48)
50
(1.97)
40
(1.57)
48
(1.89)
45
(1.77)
45
(1.77)
51
(2.01)
578
(22.75)
出典:Climate-Data.org[12]

ギャラリー

イジュームの歴史的文化的建造物

  • イジューム最初の石造建築、救世主顕栄大聖堂 (1684年)[7]
    イジューム最初の石造建築、救世主顕栄大聖堂 (1684年)[7]
  • 教会
    教会
  • 昇天大聖堂 (1826年)[7]
    昇天大聖堂 (1826年)[7]
  • 文化会館 (1926年)[7]
    文化会館 (1926年)[7]
  • イジューム駅
    イジューム駅
  • 旧女性用体育館 (1873年)[7]
    旧女性用体育館 (1873年)[7]
  • レンガ造りの聖十字架教会(ムィコラーイウ教会)[7]
    レンガ造りの聖十字架教会(ムィコラーイウ教会)[7]
  • 1939年の聖十字架教会(ムィコラーイウ教会)と1654年に建てられ1941年まで存在していた木造建築だった初代同教会の図
    1939年の聖十字架教会(ムィコラーイウ教会)と1654年に建てられ1941年まで存在していた木造建築だった初代同教会の図


脚注

[脚注の使い方]

出典

  1. ^ “ウクライナ軍、イジュム方面でも反攻 「露軍10キロ後退」”. SANKEI DIGITAL. 産経新聞 (2022年5月15日). 2022年6月7日閲覧。
  2. ^ a b c “Ізюм - Харківська область”. decentralization.gov.ua. 2022年6月7日閲覧。
  3. ^ a b c “Чисельність наявного населення України на 1 січня” (PDF) (ウクライナ語). Державна служба статистики України (2021年). 2022年4月7日閲覧。
  4. ^ “ウクライナ(イジューム)と日本(東京)の時差について - おすすめ旅行を探すならトラベルブック(TravelBook)”. TravelBook. 2022年4月7日閲覧。
  5. ^ “Ukrainian-English Dictionary Pro”. cybermova.com. 2022年4月7日閲覧。
  6. ^ Bakhura, Pavlo (2022年4月4日). “No safe way out of Izyum: ‘I can’t imagine how it will end’” (英語). the Guardian. 2022年4月7日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g “Історичний та розпланувальний розвиток м. Ізюм” (PDF) (ウクライナ語). Обласний комунальний заклад «Харківський науково-методичний центр охорони культурної спадщини». 2022年4月7日閲覧。
  8. ^ a b “ロシア軍、ウクライナ東部の町制圧 補給計画立て直し急ぐ―米分析:時事ドットコム”. 時事ドットコム (2022年3月18日). 2022年4月7日閲覧。
  9. ^ a b “米高官「ウクライナ、反転攻勢」 ウクライナ軍「首都近郊の町奪還」”. 毎日新聞 (2022年3月23日). 2022年4月7日閲覧。
  10. ^ “ウクライナ東部イジューム、中心部のインフラ破壊 新たな衛星画像”. CNN.co.jp (2022年3月25日). 2022年4月7日閲覧。
  11. ^ “ゼレンスキー氏、ロシアから奪還した北東部イジューム訪問”. CNN (2022年9月14日). 2022年9月15日閲覧。
  12. ^ “Climate: Iziun”. Climate-Data.org. 2022年4月7日閲覧。

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、イジュームに関連するカテゴリがあります。

外部リンク

  • イジューム市文化部門
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