エトルリア王国

エトルリア王国
Regno d'Etruria
トスカーナ大公国 1801年 - 1807年 フランス第一帝政
エトルリア王国の国旗 エトルリア王国の国章
(国旗) (国章)
エトルリア王国の位置
公用語 イタリア語
首都 フィレンツェ
国王
1801年 - 1803年 ルドヴィーコ1世 (初代)
1803年 - 1807年ルドヴィーコ2世 (最後)
変遷
成立 1801年
フランス帝国に併合される1807年
現在イタリアの旗 イタリア

エトルリア王国(エトルリアおうこく、イタリア語: Regno d'Etruria)は、19世紀初頭のイタリアに存在した王国である。

名称

かつてのこの地域の呼称であった「エトルリア」の名称が用いられた。元々この地域を支配していた国家はトスカーナ大公国であり、エトルリアの名称は用いられていなかった。

概説

19世紀初頭のイタリア半島に存在した国家であり、その建国と滅亡の経緯からしても完全にナポレオンフランス帝国の衛星国家であり、フランスによる間接支配のための傀儡国家であった。国王には、ブルボン朝の系譜を継ぐ名門であったブルボン=パルマ家のカルロ・ルドヴィーコ1世を即位させた。

歴史

建国

1801年2月9日に締結されたリュネヴィルの和約を受けて、トスカーナ大公国フランスの手に渡り廃止された。同年3月21日ナポレオンによる傀儡国家としてエトルリア王国が成立した。エトルリアとは、トスカーナの古名である。王位にはブルボン=パルマ家のルドヴィーコ1世がついた。ルドヴィーコが死ぬと、子のルドヴィーコ2世ことカルロ2世ルドヴィーコが王位を継承した。

解消

しかし1807年のフォンテーヌブローの密約によりポルトガルがスペインとフランスによって分割併合されると、ナポレオンはカルロ2世ルドヴィーコをポルトガル北部に新設した傀儡国家北ルシタニア王国の王とし、エトルリア王国の方は廃止してフランス帝国に併合した。2年後ナポレオンは妹のエリザを女大公としてトスカーナ大公国を復活させている。

関連項目

フランス革命期

アルバ | アンコーナ | バタヴィア | ベルガモ | ボロニェーゼ | ブーロン | ブレーシャ | チザルピーナ | チスパダーナ | シスレニア | クレーマ | ダンツィヒ | エトルリア | ヘルヴェティア | イリュリア | イタリア | リグリア | マインツ | パルテノペア | ペスカーラ | ローラシア | ローマ | ティベリーナ | トランスパダーナ |

ナポレオン戦争期

ドイツ: ライン同盟 | ヴェストファーレン | フランクフルト | ベルク | イタリア: エトルリア | イタリア | ナポリ | ルッカ・エ・ピオンビーノ | ネーデルラント: ホラント | ポーランド: ワルシャワ | スペイン

イタリアに存在した国
古代
中世前期
中世盛期から近世
ローマ劫掠以後に
建国された国家
近代
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ナポレオン帝国
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ナポレオン戦争後に
建国された国
イタリア統一後から
WW2終結まで存在した国
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