シュトラルズントの和議 (1370年)

シュトラールズント条約、シュトラールズント博物館(ドイツ語版)にて。2007年撮影。

シュトラールズントの和議(シュトラールズントのわぎ、ドイツ語: Friede von Stralsund)は1370年5月24日に締結された、第二次デンマーク・ハンザ同盟戦争(英語版)の講和条約。ハンザ同盟はこの条約により勢力が頂点に達した[1][2][3]

戦争は1361年にデンマークのヴァルデマー4世再興王がスコーネウーランドゴットランド、そしてハンザ同盟の主要都市であるヴィスビューを征服したことで始まった[2]。1362年、ハンザ同盟が反撃したがヘルシンボリでデンマーク艦隊に撃退され、停戦協定と1365年のヴォーディングボーの和約(ドイツ語版)で多くの特権を失う不利な講和に応じざるを得なかった[2]。条約を受け入れたくなかったハンザ同盟はケルン連盟(英語版)で艦隊を建設、スウェーデンとの同盟も更新した[2]。その後、ヴァルデマー4世と娘婿のホーコン6世が大敗した[2][3]

デンマークとハンザ同盟がシュトラールズントで討議する様子、1860年作。

条約はデンマーク代表の廷吏ヘニング・ポデブスク(英語版)とハンザ同盟代表のリューベック市長ヤーコプ・プレスコウ(ドイツ語版)とシュトラールズント市長ベルトラム・ヴルフラム(ドイツ語版)が交渉した。条約によりヴィスビューが自由を回復、さらにデンマークがバルト海におけるハンザ同盟の自由貿易を約束した。これによりハンザ同盟はバルト海の漁業貿易を独占した。また、ハンザ同盟はデンマーク王位の候補者への拒否権を得た[2]

脚注

  1. ^ Phillip Pulsiano, Kirsten Wolf, Medieval Scandinavia: An Encyclopedia, Taylor & Francis, 1993, p. 265, ISBN 0-8240-4787-7
  2. ^ a b c d e f Peter N. Stearns, William Leonard Langer, The Encyclopedia of World History: Ancient, Medieval, and Modern, Chronologically Arranged, Houghton Mifflin Harcourt, 2001, p. 265, ISBN 0-395-65237-5
  3. ^ a b Angus MacKay, David Ditchburn, Atlas of Medieval Europe, Routledge, 1997, p. 171, ISBN 0-415-01923-0

関連図書

  • Dollinger, Philippe (1999). The German Hansa. Routledge. ISBN 0-415-19072-X.