ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニー

ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニー
حمد بن خليفة آل ثاني
カタール首長
ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニー(2010年)
在位 1995年6月27日 - 2013年6月25日

全名 حمد بن خليفة آل ثاني
ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニー
出生 (1952-01-01) 1952年1月1日(72歳)
カタールドーハ
譲位 タミーム・ビン・ハマド・アール=サーニー
配偶者 マリヤム・ビント・ムハンマド・ビン・ハマド・アール=サーニー
  モーザ・ビント・ナーセル・アル=ミスナド
  ヌーラ・ビント・ハーリド・ビン・ハマド・アール=サーニー
子女
一覧参照
  • ミシュアル
    ファハド
    ジャーシム
    タミーム
    ジョーアーン
    ハーリド
    アブドッラー
    ムハンマド
    ハリーファ
    サーニー
    アル=カアカーウ
    アル=マヤーサ
    ヒンド
    ルルア
    マハー
    ラウダ
    ファーティマ
    ダーナ
    アヌード
    マリヤム
    マシャーイル
    サーラ
    アーイシャ
    ハサ
家名 サーニー家
父親 ハリーファ・ビン・ハマド・アール=サーニー
宗教 イスラム教スンナ派
テンプレートを表示
ウィキメディア・コモンズには、ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニーに関連するカテゴリがあります。

ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニーアラビア語: حمد بن خليفة آل ثاني‎, ラテン文字転写: Hamad bin Khalifa Al Thani1952年1月1日 - )は、カタール首長1995年6月27日 - 2013年6月25日)。1995年6月26日、当時首長であった父ハリーファ・ビン・ハマド・アール=サーニー (Khalifa bin Hamad Al Thaniを追放し、首長の地位に就いた。

経歴

1952年、当時イギリス保護領であったカタールに生まれる。初等教育(初等学校、中等学校)はカタールのドーハで受け[1]、後にイギリスのサンドハースト王立陸軍士官学校で学ぶ[2]

1971年7月に卒業し、帰国後はカタール陸軍の中佐となり、1972年に少将、機動師団の師団長となる。1975年にはアール・サーニー部族反乱の鎮圧で功を挙げる[2]

1977年5月太子となり、同時に国防大臣に任ぜられた。1980年代初頭には最高諮問評議会 (the Supreme Planning Council) 議長となり、基礎経済と社会政策を担当する。

1979年から1991年9月まで、カタール健康会議 (Higher Council for Youth Welfare, HCYW) の議長を務め、スポーツの振興などに努めた。

カタール陸軍の元帥として軍の近代化にも務めており、兵士教育、軍制改革、兵器革新などを実施した。この近代化が功を奏し、1991年湾岸戦争ではクウェート側につき、サウジアラビアの町カフジの奪還に貢献している。

1992年以降の内閣の閣僚選定を行っており、主要な出来事に対する決定権も行使している。また、カタールの石油天然ガスの開発にも取り組んでいる。この頃から、国政全般を取り仕切るようになった[3]

1995年6月26日、いとこと共謀してスイスで休暇中の父を首長から解任し、6月27日に自らが首長の地位に就いた[4]

2013年6月25日、太子のタミーム・ビン・ハマド・アール=サーニーに、権力を委譲することを発表した[5]

人物

思想と活動

夫人3人を持つ。アラビア語、英語を話す[6]。スポーツ愛好家であり、ダイビング[要曖昧さ回避]にも熱心であった。また、鷹狩、馬の飼育、競馬観戦の趣味もある[6]

政策にもこれらが影響しており、国内工業化に特化した政策を取っていた父と比べて、天然ガス開発、行政合理化、民営化、カタール人優先雇用政策などに力を入れている[3]

カタール国内の運動競技発展に努めており、ハマドの活動によって、カタール国内で

などの国際大会も開催されるようになっている。

外交活動にも積極的で、湾岸協力会議や数々の国際フォーラムでカタール代表を務めている。そのため、オマーンエジプトサウジアラビアインドネシアベネズエライギリスフランスモロッコなど各国から勲章を贈られている。

1997年、ハマド首長指導の下、カタールは女性に投票権を与えている。これは湾岸協力会議加盟国の中では初[3]である。

2012年10月23日、2007年にハマースガザ地区を制圧して以来、外国の元首として初めてガザ地区を訪問したように、ハマースと強い関係を有し、これを支援している[7]

アルジャジーラの設立

1996年、ハマド首長から1億5000万米ドルの資金提供を受け、衛星テレビ局アルジャジーラが設立された。アラブ諸国にある放送局としては、最も影響力があり、係争事件も多い。

2001年までに広告収入による独立採算制を目指していたが、これは果たせず、ハマド首長は毎年補助金を提供することに同意している。2004年の補助金は3000万米ドルであった[8]。2000年の広告収入は、全収入の40%を占めている[9]

脚注

  1. ^ Amiri DiwanH.H. the Amir-Biography Archived 2011年12月2日, at the Wayback Machine.
  2. ^ a b 宮田律 『シェイフ・ハマドの夢』、2008年、中東協力センターニュース
  3. ^ a b c 在カタール日本国大使館 カタール情報
  4. ^ World Factbook 2000 [E] - QATAR (by the CIA)
  5. ^ “カタール首長にタミム皇太子”. 日本経済新聞. (2013年6月25日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM2503C_V20C13A6FF1000/ 2013年6月25日閲覧。 
  6. ^ a b 外務省 シェイク・ハマド・ビン・ハリーファ・アール・サーニ首長略歴
  7. ^ “Qatar emir pledges $400m on landmark visit to Gaza”. BBC NEWS. (2012年10月23日). http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-20037203 2012年10月23日閲覧。 
  8. ^ Arnaud de Borchgrave 「Tutwiler's mission impossible」
  9. ^ Al-Jazeera - "The opinion, and the other opinion" - Sustaining a Free Press in the Middle East (PDF, 966 KiB) by Kahlil Byrd and Theresse Kawarabayashi; MIT's Media in Transition 3; published May 2-4, 2003

外部リンク

  • (英語) official site of His Highness Sheikh Hamad Bin Khalifa Al-Thani
  • (英語) The Al-Thani Dynasty
  • (英語) portrait of His Highness Sheikh Hamad Bin Khalifa Al-Thani
  • (英語) Denver Post article on His Highness Sheikh Hamad Bin Khalifa Al-Thani and his rise to power
  • (英語) official site of Her Highness Sheikha Mozah Bint Nasser Al-Missned
  • (英語) Stargate Photo of Sheikh Hamad Bin Khalifa's yacht no. 1
  • (英語) Constellation Photo of Sheikh Hamad Bin Khalifa's yacht no. 2
先代
ハリーファ・ビン・ハマド・アール=サーニー
カタール首長
1995年 – 2013年6月
次代
タミーム・ビン・ハマド・アール=サーニー
先代
ハリーファ・ビン・ハマド・アール=サーニー
カタール首相
1995年6月27日 - 1996年10月29日
次代
アブドッラー・ビン・ハリーファ・アール=サーニー
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • FAST
  • VIAF
国立図書館
  • ドイツ
  • イスラエル
  • アメリカ
その他
  • IdRef
プロジェクト カタール王室