ヘンドリク・ペトルス・ベルラーヘ

Berlage
The Beurs van Berlage (Amsterdam Commodities Exchange)

ヘンドリク・ペトルス・ベルラーヘ(Hendrik Petrus Berlage、1856年2月12日1934年8月12日オランダを代表する建築家都市計画家。オランダの近代建築の父と呼ばれる。1920年から1935年にかけて建設されたアムステルダム南部計画市域拡張部分が「アムステルダム派」の中核的宣言の背景を成し、そのできばえはウィリアム・ホルフォードジークフリート・ギーディオンに絶賛される。アムステルダム生まれ。

経歴

  • アムステルダムで中等教育を受ける
  • 1874年、オランダ王立美術学校で1年間絵画を学ぶ
  • 1875年-1878年 スイスに留学、チューリッヒ高等技術学院(現チューリッヒ工科大学)で建築を学ぶ。ゴットフリード・ゼンバーの解析学に影響を受けたという
  • 1879年から、ドイツオーストリアのほか、フィレンツェローマなどを旅行する
  • 1882年帰国。テオドール・サンダースと協同で、アムステルダムに建築設計事務所を構える
  • 1883年、アムステルダム市主催の証券取引所国際コンペに応募、一次案入選
  • 1885年、アムステルダム証券取引所の第二次案を応募し、4位となり、市から実施を拒否される
  • 1887年、ルーカス・ボルス商会の仕事でベルリンに滞在
  • 1889年、フランス開催のパリ万博を訪れる。このときオースマンの都市計画に影響を受けた霊廟計画案を提案している
  • 1889年、テオドール・サンダースとの協同を解消し、自らの建築設計事務所を開設
  • 1898年、アムステルダム証券取引所を再設計する建築家に選ばれる(1903年にベルラーヘ証券取引所(英語版)として完成)
  • 1902年、法の適用を受けたアムステルダム市の、'美的要求を満足する市域拡張案’作成の指名を受け、ウィリアム・モリスの影響を受けたアムステルダム南部地区の第一次案を作成
  • 1911年、アメリカ旅行とオランダ国内、ベルギー、スイスで巡回講演
  • 1915年、アムステルダム市域拡張案のうち南部地区は承認される。法的な理由によって計画案全体は適用することはできなかった
  • 1919年、ハーグ市立美術館の第一次案作成
  • 1923年、オランダ領インド(インドネシア)を旅行する
  • 1924年、アムステルダムで開催された都市建設国際会議に出席
  • 1925年、メナレカトル・クライン建物等アムステルダム西部地区の都市化が開始。ハーグ整備計画案を作成
  • 1925年、訪ソ。
  • 1926年、レーニン廟基本プラン作成
  • 1927年、ドイツを訪れ、デッサウのバウハウスを訪問
  • 1929年、ソ連を旅行する
  • 1932年、王立英国建築家協会からRIBAゴールドメダルを受賞
  • 1934年、デン・ハーグで没

代表業務

  • フォッタ・アンド・メルツァー商会アムステルダム・カルバー通りの商業施設 1885年
  • アムステルダム・ホップマス通り集合住宅 1902年
  • アムステルダム・リネアン通り集合住宅 1902年
  • 労働組合フォールマールト会館 ロッテルダム 1902年
  • アムステルダム証券取引所 1903年
  • アムステルダム・サルファティ通り建築群検討案 1908年
  • ハーグ都市広範計画 1908年
  • ド・バゼル計画案に基づくハーグ市域拡張案 1908年
  • プルムルンドの拡張計画案 1911年
  • アムステルダム・トル通り労働者住宅 1911年
  • トランスアール街・インスリンド街ジャバ通り・バリ通り等の都市化開発 1912年-1919年
  • ハーグの公共施設群 1913年
  • ミューラー海運会社事務所ロンドン・オランダハウス 1914年
  • ロッテルダム・フリーヴェイク拡張計画(建築家グランプレ・モリエールと共同) 1914年
  • 都市圏全域を対象としたアムステルダム拡張計画 第二次案1915年-1917年
  • ユトレヒト市域拡張 第一次案1918年、最終案1920年-1924年(エンジニアL.V.ホルスペアーと共同)
  • ロッテルダム・ホッフ広場計画案 1922年
  • アムステル運河の橋梁(通称ベルラーヘ橋) 1926年
  • ハーグ市立美術館(オランダ語版) 1935年

建築の作風

ベルラーヘはヘンリー・リチャードソンのネオ・ロマネスク形式のれんが建築の影響をうけた。この影響はアムステルダム証券取引所の様式に見られる。この建築にはウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクのアイデアも取り入れられている。1911年にアメリカ合衆国を旅行の際、フランク・ロイド・ライトの強い影響を受けた。

ベルラーヘはオランダにおける近代建築の父と考えられ、伝統建築から近代建築への過渡期にあってデ・ステイルのグループを含むオランダの近代主義者に影響を与えた。

家族

同名の息子ヘンドリク・ペトルス・ベルラーヘ(スペイン語版)(1896-1968)は天文学者。

脚注


参考図書

  • レオナルド・ベネヴォロ著、横山正訳:近代都市計画の起源(SD選書)、鹿島出版会、1976
  • ルイス・マンフォード著,生田勉訳:都市の文化 鹿島出版会,1974
  • C.B.ブルドム,The Building of Sattelite Towns
  • G.ギーディオン著、太田実訳:時間・空間・建築、丸善、1974
1881-1900
  • 81: ジョージ・ゴドウィン(英語版)
  • 82: ハインリッヒ・フォン・Ferstel(英語版)
  • 83: フランシス・ペンローズ(英語版)
  • 84: ウィリアム・バターフィールド(英語版)
  • 85: ハインリヒ・シュリーマン
  • 86: シャルル・ガルニエ
  • 87: ユアン・クリスチャン(英語版)
  • 88: バロン・フォン・ハンセン・Theophil(英語版)
  • 89: チャールズ・トーマス・ニュートン(英語版)
  • 90: ジョン・ギブソン(英語版)
  • 91: アーサー・ブロムフィールド(英語版)
  • 92: セザール・デイリー(フランス語版)
  • 93: リチャード・モリス・ハント(英語版)
  • 94: レイトン卿
  • 95: ジェームズ・ブルックス(英語版)
  • 96: アーネスト・ジョージ(英語版)
  • 97: ピエール・コイペルス(英語版)
  • 98: ジョージ・Aitchison(英語版)
  • 99: ジョージ・フレデリックボドリー(英語版)
  • 00: ロドルフォ・Lanciani(英語版)
1901-1930
1931-1950
1951-1970
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