ループレヒト (バイエルン王太子)

ループレヒト
Rupprecht
ヴィッテルスバッハ家
バイエルン様式の軍服を着るループレヒト

全名
一覧参照
  • Rupprecht Maria Luitpold Ferdinand
    ループレヒト・マリア・ルイトポルト・フェルディナント
称号
敬称 殿下
出生 (1869-05-18) 1869年5月18日
バイエルン王国の旗 バイエルン王国ミュンヘン
死去 (1955-08-02) 1955年8月2日(86歳没)
西ドイツの旗 西ドイツバイエルン州シュタルンベルク、ロイトシュテッテン城
埋葬 西ドイツの旗 西ドイツバイエルン州ミュンヘン、テアティーナ教会
配偶者 マリー・ガブリエーレ
  アントニア
子女
一覧参照
  • ルイトポルト
    イルミンガルト
    アルブレヒト
    ルドルフ
    ハインリヒ
    イルミンガルト
    エーディタ
    ヒルダ
    ガブリエーレ
    ゾフィー
父親 ルートヴィヒ3世
母親 マリア・テレジア
役職 陸軍元帥
第6軍司令官
宗教 キリスト教カトリック教会
テンプレートを表示

ループレヒト・フォン・バイエルンドイツ語: Rupprecht von Bayern, 1869年5月18日 - 1955年8月2日)は、バイエルンおよびドイツ王族軍人。最後の王太子バイエルン公ライン宮中伯ドイツ帝国陸軍の最終階級は元帥。

生涯

1869年、バイエルン王子ルートヴィヒ(後のバイエルン国王ルートヴィヒ3世)とエスターライヒ=エステ大公女マリア・テレジア(モデナ公フランチェスコ5世の姪)の長男としてミュンヘンに生まれた。

第一次世界大戦ではドイツ陸軍第6軍の指揮官を務め、1916年には元帥となった。

1919年に母のマリア・テレジアが死去したためジャコバイトの支持するイングランド王ロバート英語: Robert)、スコットランド王ロバート4世スコットランド語: Robert IV)となった。

1921年には父の死去によりバイエルン王家の家長となった。

1939年にイタリアに亡命したが、妻子をはじめとするバイエルン王家の人間がハンガリーに残留していたため、1944年に逮捕されザクセンハウゼン強制収容所ダッハウ強制収容所などに収容された。1945年のナチス・ドイツの降伏後に、ようやくミュンヘンに戻ることができた。1955年、シュタルンベルク(英語版)ロイトシュテッテン城(ドイツ語版)において86歳で死去した。

家族

1900年、ヴィッテルスバッハ家傍系の同族であるバイエルン公カール・テオドールの四女マリー・ガブリエーレと結婚。3男2女を儲けたが、成人したのは1人だけだった。マリー・ガブリエーレとは1912年に死別した。

  • ルイトポルト(1901年 - 1914年)
  • イルミンガルト(1902年 - 1903年)
  • アルブレヒト(1905年 - 1996年) - バイエルン王家家長。
  • 女子(死産、1906年)
  • ルドルフ(1909年 - 1912年)

1921年、ルクセンブルク大公ギヨーム4世の四女アントニア(シャルロット女大公の妹)と再婚し、1男5女を儲けた。

  • ハインリヒ(英語版)(1922年 - 1958年) - 1951年にリュストラック男爵ジャンの娘アンヌ・マリー(1927年 - 1999年)と結婚。
  • イルミンガルト(英語版)(1923年 - 2010年) - 従兄のバイエルン王子ルートヴィヒ(英語版)と結婚。家長となった甥たちに跡継ぎの男子がないことから、その長子のルイトポルトがバイエルン王家家長となると目されている。
  • エーディタ(1924年 - 2013年) - ティト・トンマーゾ・マリア・ブルネッティと結婚、グスタフ・クリスティアン・シマートと再婚。
  • ヒルダ(1926年 - 2002年) - 1949年にフアン・ブラドストック・エドガル・ロケット・デ・ロアイサと結婚。
  • ガブリエーレ(1927年 - 2019年) - 1953年にクロイ公カール(1914年 - 2011年)と結婚。
  • ゾフィー(1935年 - ) - 1955年にアーレンベルク公ジャン=エンゲルベルト(オランダ語版)(1921年 - 2011年)と結婚。
アントニアとループレヒト
ウィキメディア・コモンズには、ループレヒト (バイエルン王太子)に関連するカテゴリがあります。
バイエルン王国旗 バイエルン王位請求者 バイエルン王章

ルートヴィヒ3世1918-1921 / ループレヒト1世1921-1955 / アルブレヒト1世1955-1996 / フランツ1世1996-現在

カテゴリ カテゴリ
ジャコバイトの旗ジャコバイト王位継承者
ステュアート家

ジェームズ2世および7世1688-1701 / ジェームズ3世および8世1701-1766 / チャールズ3世1766-1788 / ヘンリー9世およびヘンリー1788-1807

サヴォイ家
オーストリア=エステ家

フランシス1世1840-1875 / メアリー4世および3世1875-1919

ウィッテルズバック(バヴァリア)家

ロバートおよびロバート4世1919-1955 / アルバート1955-1996 / フランシス2世1996-現在

一覧
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • FAST
  • ISNI
  • VIAF
国立図書館
  • フランス
    • 2
  • BnF data
    • 2
  • ドイツ
  • イスラエル
  • アメリカ
  • チェコ
  • オランダ
  • ポーランド
人物
  • BMLO
  • ドイッチェ・ビオグラフィー
その他
  • IdRef