伊賀上野地震

伊賀上野地震
伊賀上野地震の震度分布[1]
本震
発生日 1854年7月9日
(嘉永7年6月15日)
震央 三重県伊賀市上野付近
規模    M7.2~7.3
最大震度    震度6~7:伊賀上野、四日市、奈良
被害
死傷者数 死者1500人以上
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
テンプレートを表示

伊賀上野地震(いがうえのじしん)は、嘉永7年6月15日(1854年7月9日[2]午前2時頃に現在の三重県伊賀市北部で発生した地震である。地震のタイプとしては活断層で発生した内陸直下型地震とみられる。「安政」への改元前に発生した地震であるが[3]、歴史年表では嘉永7年1月1日に遡って安政元年としており[4]安政伊賀地震とも呼ばれる。

また、本地震に始まり飛越地震に至る安政年間に連発した一連の顕著な被害地震は安政の大地震と総称される[5][6]

概要

前震

嘉永7年6月13日(1854年7月7日)正午に前震が発生した。前震による建物の倒壊は無かった。その後も揺れ、夜通し寝なかったり外に筵をしいて寝るなどした住民がいた[7]

本震

本震は同年6月15日(新暦7月9日)暁刻(午前2時頃)に発生し、6-8時頃に最大余震が発生した[8]。震央は14[10]、最大震度はメルカリ震度階級四日市、伊賀上野はVIまたはVIIと推定されている。越後常陸から長門に至る広い範囲で地震が記録されている。亀山桑名でもメルカリ震度階級で震度Vと推定されている。同日5時頃失火の炎が見え始めた。

被害

上野城の東・西大手門の石垣が崩れ、番人4名が死亡し、地滑りなどの被害も大きかった。死者は995名。うち伊賀上野付近の死者は625名、負傷者994名、家屋倒壊2270戸、蔵倒壊306件だった[11][12]。その後の余震も同年7月10日(新暦8月3日)2時頃までは規模が大きいものが多かった[13]

のちに「伊賀上野城下の被害絵図」もつくられた。地震により倒壊した家屋が色で塗られた絵図もある。

薬師寺東塔が損傷した[14]

四日市市北町の建福寺に「安政元年震災惨死者之碑」がある[15]。裏面に火災のため300有余人が死亡したと記されている。

安政元年震災惨死者の碑

奈良にも大きな被害をもたらしている。被害が大きかった古市表では、大池の土手が決壊し140戸から150戸あった家屋の内45戸を残して流失、110名の死者を出した。南都(奈良市街)では2400戸から2500戸が崩れ、約200人の死者を出した。郡山(大和郡山)では300戸が倒壊し、死者は80人~90人に上った[16]

地震断層

上野の北側で西南西-東北東の方向に断層を生じ、断層の南側で長さ約1km、幅約200mの範囲で最大1.5m沈下した[8]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 宇佐美龍夫 『最新版 日本被害地震総覧』 東京大学出版会、2003年
  2. ^ “19世紀後半、黒船、地震、台風、疫病などの災禍をくぐり抜け、明治維新に向かう(福和伸夫)”. Yahoo!ニュース. (2020年8月24日). https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/4d57ba83d5e41aac42e5017f84dc3147e53dc0ff 2020年12月2日閲覧。 
  3. ^ 湯村哲男(1969)、「本邦における被害地震の日本暦について」 地震 第2輯 1969年 22巻 3号 p.253-255, doi:10.4294/zisin1948.22.3_253
  4. ^ 神田茂(1970): 「本邦における被害地震の日本暦の改元について」 地震 第2輯 1970年 23巻 4号 p.335-336,doi:10.4294/zisin1948.23.4_335
  5. ^ 日本国語大辞典』小学館、2000年
  6. ^ 中嶋眞澄(2006): Gamma函数の漸近公式の厳密な別証明, 鹿児島経済論集, 47(3), 147-164., NAID 110007014659
  7. ^ 伊賀上野地震
  8. ^ a b 宇津徳治、嶋悦三、吉井敏尅、山科健一郎『地震の事典』朝倉書店、2001年
  9. ^ “日本付近のおもな被害地震年代表”. www.zisin.jp. 2022年3月16日閲覧。
  10. ^ 講演要旨 安政伊賀上野地震(1854)による三重県内の 集落別詳細被害・事象分布 史地震 第20号(2005) 111-112頁
  11. ^ 既往地震表
  12. ^ 桑名県民センター/伊賀上野地震(過去)[リンク切れ]
  13. ^ 伊賀県民センター/安政伊賀上野地震[リンク切れ]
  14. ^ 西川英佑、山内淳子、藤岡洋保 ほか、「国宝薬師寺東塔の地震被害の履歴について -文化財建造物の地震被害履歴に対する構造学的な一考察-」 日本建築学会計画系論文集 2010年 75巻 647号 p.271-278, doi:10.3130/aija.75.271
  15. ^ 自然災害から学ぶ中部災害アーカイブス 2020年2月21日閲覧
  16. ^ 『地震の日本史 大地は何を語るのか [増補版]』中央公論新社、5-25、171-172頁。 

参考文献

  • 震災予防調査会編 編『大日本地震史料 下巻』丸善、1904年。  pp.329-360 国立国会図書館サーチ
  • 武者金吉 編『日本地震史料』毎日新聞社、1951年。  pp.33-73
  • 東京大学地震研究所 編『新収 日本地震史料 第五巻 別巻三 安政元年六月十五日』日本電気協会、1983年。  pp.1-293 - 伊賀上野に関する新収古記録原典の集成

関連項目

外部リンク

  • 嘉永七年(1854)伊賀上野地震に関する史料 -京都府最南部の南山城村・加茂町- 『地震 第2輯』 2006年 Vol.59 No.1 p.49-58
1884年以前に日本で発生した主な地震歴史地震
 
- 1749年
古墳時代
飛鳥時代
奈良時代
平安時代
  • 弘仁(818年、M?)
  • 天長(830年、M7 - 7.5)
  • 伊豆(841年、M7)
  • 出羽(850年、M7.5?)
  • 播磨(868年、M7?)
  • 貞観(869年、M8.3<)
  • 元慶(878年、M7.5<)
  • 仁和(887年、M8<)
  • 山城・近江(976年、M?)
  • 万寿(1026年、M?)
  • 永長(1096年、M8<)
  • 康和(1099年、M?)
鎌倉時代
室町時代
安土桃山時代
江戸時代前期
 
1750年 - 1799年
1750年 - 1759年
1760年 - 1769年
1770年 - 1779年
1780年 - 1789年
  • 庄内(1780年、M7.0)
  • 天明小田原(1782年、M7.0)
  • 阿波(1789年、M7.1)
1790年 - 1799年
 
1800年 - 1849年
1800年 - 1809年
  • 佐渡小木(1802年、M6.6)
  • 象潟(1804年、M7.0)
  • 紀伊半島沖(1808年、M7.6)
1810年 - 1819年
  • 羽後(1810年、M6.5)
  • 神奈川(1812年、M7.0)
  • 文政近江(1819年、M7.3)
1820年 - 1829年
  • 陸中岩手山(1823年、M6.0)
  • 三条(1828年、M6.9)
1830年 - 1839年
  • 京都(1830年、M6.5)
  • 美濃西部(1833年、M6.3)
  • 庄内沖(1833年、M7.5)
  • 石狩(1834年、M6.4)
  • 宮城県沖(1835年、M7.0)
  • 釧路・厚岸(1839年、M7.0)
1840年 - 1849年
 
1850年 - 1884年
1850年 - 1859年
1860年 - 1869年
1870年 - 1879年
1880年 - 1884年