保科武雄

保科 武雄(ほしな たけお、1906年10月12日 - 1983年10月7日)は、新潟県高田市(現上越市)出身の元クロスカントリースキー選手。旧名は、矢沢 武雄(やざわ たけお)。

来歴

旧制高田中学校早稲田大学

高田中学時代の1924年、第2回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキー個人4kmで優勝。卒業後は早大に進み、1926年の同大会ではクロスカントリースキー個人10kmと24kmリレーで優勝し、高橋昴竹節作太らとともに早大の黄金期を作り上げた。1928年サンモリッツオリンピックでは、クロスカントリースキー個人長距離(18km)にエントリーし26位だった。1930年の全日本スキー選手権大会ではクロスカントリースキーのリレーで優勝、同大会では早大に4年ぶりのタイトルをもたらした。 その後、保科姓となり1932年レークプラシッドオリンピックではクロスカントリースキー個人長距離(18km)に出場し、17位の成績を残した。

引退後は全日本スキー連盟理事、新潟県スキー連盟会長などを歴任した。1983年、死去。76歳没。

参考文献

  • 小川勝次「日本スキー発達史」朋文堂、1956年
  • 菅原悦子「歴史ポケットスポーツ新聞冬季オリンピック」大空出版、2009年

外部リンク

  • 保科武雄 - Olympedia(英語) ウィキデータを編集
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