大久保 忠備(おおくぼ ただみつ、元禄5年(1692年) - 延享元年8月7日(1744年9月13日))は、江戸時代前期の旗本。大久保忠直の嫡男であり、大久保忠教(彦左衛門)の曾孫にあたる。
幼名は亀之丞、通称は彦左衛門。母は根本氏。子供には大久保忠恒がいる。忠恒は後嗣にめぐまれず、本家筋の一門の忠順[1]を養子に迎える。忠順の妻は忠恒の娘なので娘婿となり血脈は続く。
1744年(延享元年)8月7日に53歳で死去した。