孝章世子

孝章世子(こうしょうせいし、ヒョジャンセジャ、효장세자康熙58年2月15日(1719年4月4日) - 雍正6年11月16日(1728年12月16日))は、李氏朝鮮の第21代国王英祖の長男。は緈(ヘン、)、幼諱は萬福。廟号真宗(チンジョン、진종)、温良睿明哲文孝章大王からの諡号は恪愍王。母は靖嬪李氏。世子になったが、幼くして病死したため王位に就くことができなかった。

生涯

1724年、父の即位に伴い敬義君に封じられた。1725年王世子に冊立された。1726年に7歳で孝純王后趙氏と結婚した。しかし、3年後の1728年昌慶宮資善堂で死去した。享年9歳(数え年で10歳)。父の英祖は、病床の世子に付き添った。それに対して世子は、親孝行ができなかったと思い悲しんだという。陵墓は京畿道坡州市ある永陵。死後、妃の孝純王后も葬られ、現在はともに眠っている。死後、異母弟である李愃(荘献世子)の息子の李祘(正祖)が孝章世子の養子となり、即位後に真宗の廟号をもって追尊した。1899年には、高宗が昭皇帝の諡号で追尊した。

家族

  • 父: 英祖
  • 母: 靖嬪李氏(1694年 - 1721年)- 贈左賛成 李竣哲の娘
  • 同母姉: 和憶翁主(1717年 - 1718年)
  • 同母妹: 和順翁主(1720年 - 1758年)- 月城尉 金漢藎夫人
  • 正妃: 孝純王后趙氏(1716年 - 1751年)- 豊陵府院君 趙文命の娘
    • 養子: 正祖 - 血縁関係では甥に当たる
国王
  • 太祖1393-1398
  • 定宗1398-1400
  • 太宗1400-1418
  • 世宗1418-1450
  • 文宗1450-1452
  • 端宗1452-1455
  • 世祖1455-1468
  • 睿宗1468-1469
  • 成宗1469-1494
  • 燕山君1494-1506
  • 中宗1506-1544
  • 仁宗1544-1545
  • 明宗1545-1567
  • 宣祖1567-1608
  • 光海君1608-1623
  • 仁祖1623-1649
  • 孝宗1649-1659
  • 顕宗1659-1674
  • 粛宗1674-1720
  • 景宗1720-1724
  • 英祖1724-1776
  • 正祖1776-1800
  • 純祖1800-1834
  • 憲宗1834-1849
  • 哲宗1849-1863
  • 高宗1863-1897
追尊王
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皇帝
  • 高宗太皇帝1897-1907
  • 純宗孝皇帝1907-1910
追尊
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