小田治孝

小田 治孝(おだ はるたか、文明4年10月22日(1472年11月22日) - 明応5年2月18日(1496年3月3日[1])は、常陸戦国大名小田氏の第13代当主。

兄弟に小田顕家、岡見義治、宇都宮興綱室、佐竹義篤室。義弟に小田政治がいる。子に岡見治資

小田成治の長子。弟の小田顕家が家督相続に不満を持ち、1496年、内紛を起こし、治孝は顕家に殺された。成治は養子小田政治を当主とし、顕家は追討され首を取られた。

脚注

  1. ^ 小丸俊雄『小田氏十五代 豪族四百年の興亡』下巻(崙書房、1979年)p.26
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