小笠原忠春

小笠原 忠春(おがさわら ただはる、大正2年(1913年2月19日 - 昭和51年(1976年5月27日[1])は、小笠原伯爵家第31代当主。第30代当主小笠原長幹長男。

弟に小笠原忠幸小笠原長丕養子)、小笠原忠統、妹に鞠子(伊達興宗夫人)他。子に忠利、忠明。

法政大学に学ぶ。1935年(昭和10年)3月、父長幹の死去により、家督を相続する。 1944年(昭和19年)、新劇女優と結婚したことで長幹の三男である忠統に家督を譲り隠居分家させられた[2]。次弟の忠幸はすでに旧安志藩の小笠原子爵家を継いでいたため、忠統が忠春の後継となったものである。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 平成新修旧華族家系大成』上巻(霞会館、1996年)p.340
  2. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、484頁。ISBN 978-4-06-288001-5。 

参考文献

日本の爵位
先代
小笠原長幹
伯爵
小倉小笠原家第3代
1935年 - 1944年
次代
小笠原忠統
三階菱紋小笠原宗家第32代当主
平安末〜鎌倉時代

長清 - 長経 - 長忠 - 長政 - 長氏 - 宗長

南北朝〜安土桃山時代

貞宗 - 政長 - 長基 - 長将 - 長秀 - 持長 - 清宗 - 長朝 - 貞朝 - 長棟 - 長時 - 貞慶

江戸時代
明治時代以降

長幹 - 忠春 - 忠統 - 長雅

分家・支流

松尾小笠原家

光康 - 家長 - 定基 - 貞忠 - 信貴 - 信嶺 - 信之 - 政信 - 貞信 - 信辰 - 信成 - 信胤 - 信房 - 長教 - 長貴 - 長守 - 長育 - 勁一 - 牧四郎 - 長定