岡崎義人

岡崎 義人(おかざき よしひと、1926年5月28日 - 2005年2月25日)は、プロ野球球団阪神タイガースの元球団社長大阪府出身[1]

来歴・人物

1949年京都大学法学部を卒業し、1949年に阪神電気鉄道に入社した[1]

1976年には球団常務に就任し、1978年から球団代表を務め、1978年のドラフト会議では江川卓、翌年のドラフト会議では岡田彰布の抽選を引き当てた[1][2]。1985年10月に日本航空123便墜落事故で死去した中埜肇の後継として球団社長に就任した[1]。その年の11月には阪神タイガースは球団初の日本一を果たした[1]。1988年に退任した[1]

2005年2月25日心不全ため死去。享年78[1]

大学時代には野球部に所属して二塁手として活躍しており、現場に理解がある球団幹部とも言われていた[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 本間勝 (2010年9月). “17人目 岡崎義人 小柄で豪放 人柄が慕われた球団社長”. 本間勝交遊録. 月刊タイガースweb. 2021年3月17日閲覧。
  2. ^ 植村徹也 (2020年12月13日). “「鬼筆」越後屋のトラ漫遊記3 「江川騒動」後編-当たりクジはなぜ、阪神に…”. 産経新聞. https://www.sankei.com/article/20201213-H6OKI5YWLJM6VNZOCVV22XPLII/3/ 2022年11月27日閲覧。 
  3. ^ 朝日新聞2005年2月26日 朝刊 23頁
先代
中埜肇
阪神タイガース社長
1985年 - 1988年
次代
見掛道夫