徐松

徐松

徐 松(じょ しょう、Xu Song1781年1848年)は、朝の歴史家。字は星伯

浙江省紹興府上虞県の出身。父に従って大興県に遷った。1805年進士になり、翰林院編修となった。『永楽大典』から宋に関する部分を抽出し『宋会要輯稿』500巻を編纂した。またその他に『唐両京城坊考』を著した。その後湖南省の督学となった[1]

1812年イリ地方に流され、イリ将軍の松筠(スンユン)の知遇を得た。1815年アクストルファンウルムチを旅して、『新疆賦』を著した。1819年には地理書である『西域水道記』12巻を著した。同年に赦免され、1821年に『新疆識略』を編纂した。官は礼部郎中に昇った。

著書

  • 『唐両京城坊考』
  • 『西域水道記』12巻、旧稿、日本早稲田大学
  • 『漢書西域伝補注』
  • 『新疆賦』
編纂

脚注

出典

  • 『大清畿輔先哲伝』

注釈

  1. ^ 朱玉麒、『西域水道記』、P.2
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