日本とギニアの関係 (フランス語 : Relations entre la Guinée et le Japon 、英語 : Japan–Guinea relations ) では、日本 とギニア の関係について概説する。
両国の比較 歴史 駐日ギニア大使館 全景(東京 ) 駐日ギニア大使館 の表札 1958年、ギニアは国民投票 を経て他のアフリカ 諸国に比べいち早くフランス から独立すると、日本は同年11月14日にこれを承認し、外交関係を樹立した[3] 。しかしその後、ギニアは旧宗主国 であったフランス と1965年に断行を実施し、これを契機として初代大統領セク・トゥーレ は社会主義 体制を敷く。またマリ やガーナ と協力してアフリカ諸国連合 を結成し、ギニアビサウ独立戦争 の支援をきっかけにポルトガル とは戦闘を行うなど(緑海作戦 )、西側先進国と外交的に距離を置いた[8] 。そのため日本との本格的な交流開始は1970年代まで待たなければならず、1972年12月に東京 に駐日ギニア大使館 が開設され、1976年1月にはコナクリ に在ギニア日本国大使館 を開設した[3] 。なお、1972年の駐日大使常駐開始まで、ギニアはモスクワ の駐ソ連邦 大使が日本を兼轄していた[9] 。
1984年以降は、無血クーデターによって軍が政権を奪取すると自由主義 ・資本主義 の体制へと転じ、ギニアは世界銀行 やフランス・日本を含む主要各国からの援助を受け始めた。2014年にはリベリア ・シエラレオネ とともにエボラ出血熱 流行の最大の被害国となったが(2014年の西アフリカエボラ出血熱流行 )、日本はそれに対し薬剤・防護服・検査キットの供給や専門家の派遣、資金提供や医療機材の整備など緊急の支援を多数行っている[10] 。
現況 2013年6月には第四代ギニア大統領 アルファ・コンデ が、アフリカ開発会議 の為に初訪日。2017年6月には実賓として再訪日し、当時の内閣総理大臣 であった安倍晋三 と首脳会談 を実施した。そこでは、北朝鮮核問題 や捕鯨問題 について意見が交わされたほか、ギニアは大阪 の2025年国際博覧会 招致に支持を表明[11] 。またギニアはエボラ流行の経験国である事から、それを踏まえて「医療機材の供与(経済社会開発計画)に係る交換文書」に署名がなされ[12] 、経済や安全保障面でも協力を促す「日・ギニア共同声明」も発表された[13] 。2019年8月にもアルファ・コンデは三度訪日し、首脳会談を実施して協力関係を確認している[14] 。
経済的には、ギニアにとって日本はアメリカ合衆国 やフランス などに次ぐ主要な開発援助国である。2018年までの累計援助実績は850億円を超えており、支援内容はかねてから水産 関係が多かった。漁港 の整備や、水産品を輸送する為の幹線道路 の整備などが主である[15] 。しかしエボラ出血熱 流行以降は公衆衛生 の面でも日本の貢献度は高く、2020年には日本の支援によるギニア国立公衆衛生研究所の建設が決定した[16] [17] 。
貿易に関しては、2019年の対日輸出は3750万円に対し対日輸入額は11億5149万円に上るなど、ギニア側の大幅赤字である。ただし、ギニアは資源 大国で金 や銅 を産出し、僅かながら日本にもそれらを供給している。日本の工業製品にこれら金属は欠かせず、重要な貿易相手である[3] 。また、アルミニウム の原料となるボーキサイト は世界の埋蔵量の約半分を擁し、ダイヤモンド や鉄鉱石 も産出、さらには海洋・河川ともに漁業資源にもギニアは恵まれている。その事から開発可能性は高く、「日・ギニア・ビジネスフォーラム」ではギニア大統領自らが日本企業に対し投資を呼び掛けている[18] 。
文化交流としては、ギニアにはチンパンジー を始めとする霊長類 が生息しており、日本の研究調査団が何度か現地に派遣され生態調査を実施している[3] 。またスポーツ面では柔道 や空手 が普及していることから、道着や機材の供与、施設の整備なども何度か実施された[19] 。
外交使節 駐ギニア日本大使 駐日ギニア大使 モスクワ常駐 東京常駐 ママディ・ラミネ・コンデ(1972年~、信任状捧呈 は12月27日[21] )[22] エル・ハーッジ ・ブバカル・バリー(1989年以前[23] [24] ~1992年[25] ) ????(1992~1996年[26] 、信任状捧呈 は7月29日[27] ) アルファ・ウマール・ラフィウー・バリー(1997~2002年、信任状捧呈は2月18日[28] ) (臨時代理大使 )ジャン・ピエール・ディアワラ(2002~2003年) ウスマン・トロ・ティアム(ティアム・ウスマン・トロ、2003~2007年、信任状捧呈は1月22日[29] ) (臨時代理大使)ブレイズ・パスカル・ケイタ(2007年) モハメッド・ラミーヌ・トゥーレ(2007~2013年、信任状捧呈は8月23日[30] ) (臨時代理大使)ブレイズ・パスカル・ケイタ(2013年) サンクン・シラ(2013年~、信任状捧呈は5月24日[31] ) 脚注 ^ 世界銀行 Population, total - Guinea ^ 世界銀行 Population, total - Japan ^ a b c d e ギニア共和国(Republic of Guinea)基礎データ外務省 ^ 日本の統計2016 第1章~第29章 | 総務省統計局 ^ 日本国憲法 で明確に定められている。 ^ 世界銀行 GDP (current US$) - Guinea ^ The World Bank GDP (current US$) - Japan ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平『世界地理大百科事典2 アフリカ』p.148、朝倉書店(1998) ^ 『わが外交の近況 (1973年版)』 第2部 各説 > 第1章 わが国と各国との諸問題 > 第9節 アフリカ地域 > 5. 西部アフリカ ^ 西アフリカにおけるエボラ出血熱の流行に対する日本の支援外務省 ^ 日・ギニア首脳会談(2017)外務省 ^ ギニアに対する無償資金協力に関する書簡の交換外務省 ^ アルファ・コンデ・ギニア共和国大統領の日本国公式訪問に際しての日本国とギニア共和国との間の共同声明 ^ 日・ギニア首脳会談(2019年)外務省 ^ 日本のODAプロジェクト ギニア 無償資金協力 案件概要外務省 ^ 「国立公衆衛生研究所建設計画」(詳細設計)署名式 在ギニア日本国大使館 ^ ギニア共和国に対する無償資金協力に関する書簡の交換外務省 ^ 大統領自ら日本企業に投資を呼び掛け-日・ギニア・ビジネスフォーラムが都内で開催-日本貿易振興機構 ^ ギニア共和国 ^ 鹿島守之助 『日本外交史 別巻3』(鹿島研究所出版会 、1974年)、p.672 ^ 外務省 情報文化局『外務省公表集(昭和四十七年)』「六、儀典関係」「34 新任駐日ギニア大使の信任状捧呈について」 ^ Littérature : l’Harmattan Guinée présente le livre de l’Ambassadeur Mamady Lamine Condé – Guinéenews© (フランス語) ^ List of Official Mourners Representing Foreign Countries and International Organizations at the Funeral Ceremony of Emperor Showa | Diplomatic Bluebook 1989 (英語) ^ Foreign Representatives, Heads of Missions and Accompanying Persons at the Ceremony of the Enthronement of the Emperor at the Seiden | Diplomatic Bluebook 1991 (英語) ^ ご引見(平成4年) - 宮内庁 ^ ご引見(平成8年) - 宮内庁 ^ 信任状捧呈式(平成4年) - 宮内庁 ^ 信任状捧呈式(平成9年) - 宮内庁 ^ 新任駐日ギニア共和国大使の信任状捧呈について | 外務省 ^ 外務省: 新任駐日ギニア共和国大使の信任状捧呈について ^ 新任駐日ギニア共和国大使の信任状捧呈 | 外務省 参考文献 ギニア共和国(Republic of Guinea)基礎データ 外務省 関連項目 外部リンク アジア
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