早岐町

曖昧さ回避 この項目では、1942年まで存在した長崎県東彼杵郡の自治体について説明しています。1958年から1987年まで存在した佐世保市の町名の早岐町については「早岐地域#町名」をご覧ください。
はいきちょう
早岐町
廃止日 1942年5月27日
廃止理由 編入合併
東彼杵郡早岐町北松浦郡大野町、中里村、皆瀬村 → 佐世保市
現在の自治体 佐世保市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
東彼杵郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 9,884
(角川日本地名大辞典42 長崎県、1942年)
隣接自治体 佐世保市、東彼杵郡折尾瀬村、宮村、下波佐見村
早岐町役場
所在地 長崎県東彼杵郡早岐町浦免
座標 北緯33度08分12秒 東経129度47分51秒 / 北緯33.13661度 東経129.79742度 / 33.13661; 129.79742座標: 北緯33度08分12秒 東経129度47分51秒 / 北緯33.13661度 東経129.79742度 / 33.13661; 129.79742
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早岐町(はいきちょう)は、長崎県東彼杵郡にあった町。1927年(昭和2年)に広田村を編入後[1]、戦時合併に伴い1942年(昭和17年)に他町村とともに佐世保市へ編入された。

現在の早岐地域にあたる。

地理

東彼杵郡の北部に位置する。西岸は早岐瀬戸を挟んで針尾島を望む。

  • 山:花高山、二ツ岳、白石岳
  • 河川:小森川、金田川

沿革

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、東彼杵郡のうち後の町域にあたる早岐村、広田村がそれぞれ単独村制にて発足。
  • 1897年(明治30年) - 九州鉄道(のち日本国有鉄道)が開通し、当村域に早岐駅が設置される。
  • 1923年(大正12年)4月1日 - 早岐村が町制施行。早岐町となる。
  • 1927年(昭和2年)4月1日 - 広田村を編入[1]
  • 1936年(昭和11年)9月18日 - 「観潮橋」竣工[2]。早岐瀬戸を挟んで対岸に位置する針尾島の江上村と架橋される。
  • 1942年(昭和17年)5月27日 - 北松浦郡大野町・中里村、皆瀬村とともに佐世保市に編入し、早岐町は自治体として消滅。

地名

を行政区域とする。早岐町は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。(発足当時は早岐村)

  • 浦免
  • 上原免(うわばる)
  • 下苗手免(くだりなわて、くだるのて)
  • 権常寺免
  • 陣ノ内免
  • 田ノ浦免
  • 平松免
旧広田村

大字は無し。広田村時代の免をそのまま引き継いでいる。

  • 浦川内免
  • 崎岡免
  • 重尾免
  • 宮崎免

交通

鉄道

名所・旧跡

  • 住吉神社
  • 城之腰(陣ノ内免)
  • 広田城跡(重尾免)
  • 舳峰峠(重尾免。重尾峠、番所峠とも)

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 長崎縣告示第百四十一號『東彼杵郡町村廃止の件[1]、[2]』長崎県公報 昭和2年4月1日付号外
  2. ^ 完成当時の観潮橋は「しおみばし」と読まれ、現在の観潮橋のすぐ南隣に架橋されていた。戦後、針尾島と西彼杵半島を繋ぐ西海橋の建設工事にあわせ1952年(昭和28年)に現在の位置に付け替えられ、読みも「かんちょうばし」に改められた。(角川日本地名大辞典 42 長崎県「観潮橋」より)
    現在、旧観潮橋跡の針尾島側には公園があるが、早岐側は住宅街となっており、橋が存在した事がうかがえる地形や土台の痕跡が僅かに残るのみである。→現地写真参考:Googleマップ

参考文献

  • 角川日本地名大辞典 42 長崎県
  • 長崎県東彼杵郡教育会 編『長崎県東彼杵郡誌』長崎県東彼杵郡教育会、1917年、575-597頁。https://books.google.co.jp/books?id=zauq_EFQjYoC  - Google ブックス
  • 『市町村併合ニ関スル件』昭和17年5月19日長崎県告示第393号・394号(佐世保市例規集)
  • 『市内土地字名改称ノ件』昭和17年5月26日長崎県告示第68号(佐世保市例規集)

関連項目