暉峻創三

てるおか そうぞう
暉峻 創三
生年月日 1961年
出生地 日本の旗 日本 東京都[1]
職業 映画批評家映画監督脚本家
ジャンル 映画
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暉峻 創三(てるおか そうぞう、1961年[1] - )は、日本映画批評家映画監督脚本家である[注 1]

経歴

1961年、暉峻衆三暉峻淑子のあいだに長男として生まれる[3]法政大学文学部哲学科を卒業。1983年、監督作品『革命前夜』が第6回ぴあフィルムフェスティバル入選を果たす[4][注 2]。2002年、東京国際映画祭「アジアの風」部門の選定プロデューサーに任命される[6]。2009年より大阪アジアン映画祭のプログラミング・ディレクターを務める[7]

フィルモグラフィー

  • 革命前夜(1982年) - 監督、脚本
  • ブラームスを愛する(1984年) - 監督
  • ドレミファ娘の血は騒ぐ(1985年) - 出演
  • ホテトル天使 恥辱の罠(1988年) - 脚本

ビブリオグラフィー

  • 香港電影世界(1997年、メタローグ)

脚注

注釈

  1. ^ 高橋洋によれば、暉峻は「フレッド・タンを日本に紹介した人物」である[2]
  2. ^ 万田邦敏は『革命前夜』を自主映画製作集団位相機械ユニットの代表作だと位置づけている[5]

出典

  1. ^ a b “特別連続ゼミナール”. 大阪アジアン映画祭 (2013年). 2014年4月10日閲覧。
  2. ^ 高橋洋『映画の魔』青土社、2004年、16頁。 
  3. ^ 佐藤むつみ「とっておきの一枚 - 埼玉大学名誉教授・暉峻淑子先生」『法と民主主義』第452巻、日本民主法律家協会、2010年10月、2014年4月10日閲覧 
  4. ^ “1983年 第6回ぴあフィルムフェスティバル一般公募部門入選作品”. ぴあフィルムフェスティバル (1983年). 2014年4月10日閲覧。
  5. ^ 万田邦敏『再履修 とっても恥ずかしゼミナール』港の人、2009年、20,21頁。 
  6. ^ “連載企画第8回 - 映画祭の重鎮が語る、リアルな映画祭史! - カーペット入場と2都市開催(2002年-2004年)”. 東京国際映画祭 (2013年12月27日). 2014年4月10日閲覧。
  7. ^ “「フィリピン版『恋する惑星』も登場、今注目しておきたいのはフィリピンニューウェイブ!」大阪アジアン映画祭プログラミング・ディレクター暉峻創三氏に聞いた映画祭必見作は?”. ぴあ関西版WEB (2014年2月18日). 2014年4月10日閲覧。

外部リンク

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