林醇平
林醇平(はやし じゅんぺい、安政元年6月20日(1854年7月14日)[1] - 大正12年(1923年)11月14日[2])は、日本の政治家、実業家。名は諄平とも。
略歴
林孚一の三男として倉敷に生まれる[1][2]。犬飼松窓に師事して和漢の学問を学び、東京に数年間遊学[2]。日報社の編集者として記事を書くが、後に帰郷し、1879年(明治12年)岡山県会議員となる[2]。1892年(明治25年)から岡山県会議長を務めた[3]。
両備作三国親睦会幹事として、国会開設運動を推進。倉敷紡績、山陽鉄道、倉敷銀行(現・中国銀行)を設立。
地方振興の功績から、1897年(明治30年)藍綬褒章を受章した[2]。
脚注
- ^ a b 林醇平 (第4版 [大正4(1915)年1月 の情報)] - 人事興信録データベース
- ^ a b c d e 『大日本徳行録 第1巻』(大日本徳行録刊行会、1943年)179頁
- ^ 『山陽年鑑 昭和29年版』(山陽新聞社、1953年)64頁
関連項目
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