開慶(かいけい)は、中国・南宋の理宗の治世に使用された元号。1259年。
西暦・干支との対照表
出来事
- 宝祐6年
- 12月1日(モンゴル帝国憲宗8年12月2日):翌年より踰年改元の詔が下る。
- 開慶元年
- 正月23日:賈似道が枢密使・京西湖南北四川宣撫大使となる。
- 2月:合州がモンゴル軍により包囲される。
- 6月2日:呂文徳が重慶に入って四川の軍民を按撫する。
- 7月21日:憲宗が合州の釣魚山にて病死。これにより、モンゴルの主力軍は北還する。
- 9月:クビライのモンゴル軍が鄂州を包囲する。
- 11月:モンゴルの別働隊が広西を経て湖南に侵入したが、すぐに退却する。
- 閏11月8日:鄂州の包囲が解ける。
- 12月13日:翌年より「景定」へ踰年改元の詔が下る。
他の王朝
関連項目