青木定雄

青木 定雄(あおき さだお、本名:兪奉植, : 유봉식[1]1928年6月23日 - 2017年6月8日[2])は、韓国実業家在日韓国人1世。元エムケイ会長、近畿産業信用組合代表理事会長など、複数の企業・団体の要職を歴任した。

略歴

  • 1928年6月23日 韓国慶尚南道生まれ。本貫は杞渓兪氏[3]
  • 1943年(15歳) 渡日。立命館高等学校に入学。
  • 1951年(23歳) 立命館大学法学部を中退。転職を繰り返す。
  • 1956年(28歳) 倒産した勤務先・永井石油を引き継ぐ。
  • 1960年(32歳) MKタクシーの前身であるミナミタクシー株式会社を創業。
  • 1969年(41歳) 9月、給与制度「MKシステム」を採用。
  • 1977年(49歳) 桂タクシーを吸収合併しエムケイ株式会社を設立、代表取締役社長に就任。
  • 1994年(66歳) エムケイ代表取締役会長を退任。同会長になるとともに、経営を息子の信明、政明、義明に継承。
  • 2000年(72歳) 「MKグループ10万人雇用創造計画」を発表。後の2008年に長男信明も「MK一万人雇用計画」を発表。
  • 2001年(73歳) 6月、在日韓国人系信用組合・近畿産業信用組合の代表理事会長に就任。
  • 2003年(75歳) 4月、長男信明がエムケイの代表取締役社長に就任。
  • 2004年(76歳) 盧武鉉政権下の韓国政府より、韓国国民勲章「無窮花章」を受勲。
  • 2013年(84歳) 近畿産業信用組合の会長を解任される。
  • 2017年6月8日 (88歳) 誤嚥(ごえん)性肺炎のため京都市内の病院で死去[2][4]

(経歴は青木定雄の自伝、紳士録、MKグループホームページ「MKの歩み」、国会委員会議事録、記事などから)

活動

タクシー業界の規制緩和について

日本におけるタクシー業界の規制緩和は、青木による運賃値下げ闘争から始まったといわれている。青木は運輸省によるタクシーの『同一地域内、同一運賃』の行政指導へ異を唱え、1981年、京都市内における一律のタクシー料金値上げにも単独反対する。この時は最終的に一律の運賃値上げに同調するが、翌1982年に運賃の値下げを申請。却下されたことを受けて青木は運輸省近畿運輸局に対し運賃値下げ訴訟を起こし、1985年1月大阪地裁で勝訴、1989年に国と和解した。1993年タクシー運賃は自由化され、MKタクシーに対し運輸省によって全国初のタクシー運賃値下げ(10パーセント)が認可された[5]

運賃値下げ訴訟の和解以後、2002年の改正道路運送法までの間、運輸省は、市場の「適正車両数を越えた最大20パーセントまでの新規参入と増車の許可」・運輸局の定める「標準運賃より最大10パーセントまでの値下げ許可」などの規制緩和措置を試験的に講じた。2002(平成14)年2月1日、改正道路運送法が施行されタクシー事業は規制緩和された。これにより、タクシー会社の新規参入は免許制から許可制となり、区域ごとのタクシーの台数制限は撤廃された。タクシー運賃はこれまでどおり認可制だが、国土交通省は不当なもの以外は認めることにした(2002年2月1日産経新聞東京朝刊など)。

しかしながら、タクシー業界における規制緩和は、接客トラブルの増加、交通違反、都市部のタクシー台数増加による過度の交通渋滞、低賃金と過酷な長時間労働のもたらす過労による交通事故の顕著な増加などの弊害を指摘されている[6][7]。エムケイ(経営企画部)は、2004年11月、「規制緩和は数年すると業者の淘汰が進むことが多いが、タクシーは賃金体系の特質から、運転手にしわ寄せがくる構造だ」と指摘した(2004年11月17日産経新聞東京朝刊社会面)。

現在、タクシー業界の規制緩和はニューヨークをはじめとする世界の主要都市で否定されている。タクシー会社の利益拡大と市場経済メカニズムとは融合し得ないため、タクシーの車輌台数や運賃などには、法及び公的機関などの一定の規律の取れた管理を必要とすることによる[8]。日本においても、2009年成立のタクシー適正化・活性化特別措置法(タクシー特措法)により再び規制する方向になっている。

経営の特色

青木は創業当初から独創的経営を実施。挨拶の徹底、ハイヤー並みのドアサービスなど接客サービスの向上により旧弊の残るタクシー業界に新風を吹き込み、その独特の社員教育に注目が集まった時期があった[9][10][11]

一方で低賃金あるいは労働基準法にも満たない労働条件(未払い賃金を求めて元運転手らから提訴されたこともある)や繁華街で大声で挨拶の訓練をするなど独特の社員教育からの離職率の高さが指摘されている[12]。MKタクシーの「MKシステム」と称する賃金制度には実質的な「リース制」で、かつ超累進的な歩合給であるとの指摘があり、国会でも取上げられている[13](→エムケイ (タクシー会社)#賃金制度の問題を参照)。また、既存事業者との摩擦が絶えないことから「業界の輪を乱す」といった批判もあった[12]

エムケイタクシーに関する問題については「エムケイ (タクシー会社)#諸問題」を参照

近畿産業信用組合についての問題

青木は2000年に経営難に陥った京都シティ信用組合を支援した後、2001年に同信組が破綻した信用組合大阪商銀を事業譲受し名称を近畿産業信用組合に変更するとその代表理事会長を務めた。 この近畿産業信用組合は経営破綻した三つの信用組合の事業を引き継いでいるが、破綻処理には総額8,670億円の公的資金が投入されている[14]。その後、同信用組合は金融当局から法令違反、不適切な融資、見せかけ増資等の複数の指摘を受け、近畿財務局より業務改善命令を受けている[15][16](2015年3月25日解除[17])。これら当局からの指摘事項の多くは青木が深く関与していたとみられ、批判が強まった[18]

2013年5月21日の理事会において近畿産業信組の会長職を解かれた。理由は三男を理事長に昇格させるという世襲人事を図った「組合の私物化」であった[19]

  • 2001年5月25日、青木の知人が経営する同一企業グループ5社へ、分散して融資した計3億3,000万円のうち3億円が、融資当日に青木のファミリー企業の口座に流れていた。同5社は8月不渡りとなり、約2億6,000万円が焦げついた。青木はこの融資の1か月後、6月28日、近畿産業信用組合の総代会で代表理事会長に選出された[20]
  • 破綻した関西興銀の事業譲渡交渉を進めていた2001年から2002年初めにかけて、自己資本の規模を実態以上に粉飾するため、近畿産業信用組合は約30億円の商法違反となる見せかけ増資をしていた。うち26億円は青木が親族らを使い関与したとされた[21]
  • 2002年3月、滋賀県守山市の土地購入のため、同県内の不動産会社に1億6,000万円を融資。申込時はいったん否決されたが青木の指示で一転融資されたもの。しかし20日後に不渡りを出し、ほぼ全額が焦げ付いた。2004年近畿産業信組は実勢価格のほぼ2倍にあたる7,000万円で自己競落した[22][23]
  • 2002年9月、営業地区外である広島県東広島市の建設会社に3000万円を融資したが経営破綻し、2回目の融資分の大半、2,800万円が不良債権化。近畿財務局は、融資そのものの違法性に加え、理事としての監視義務を果たしていないとして、中小企業等協同組合法(中企法)の善管注意義務に違反すると指摘し、内部牽制機能の強化を強く求めた。青木は「指摘を受けた後、同額の預金を担保として提供した」と述べた[24][23]
  • 2005年3月29日付産経新聞は近畿産業信用組合がMKグループ4社などに対し110億円に上る不明朗な融資を行ったと報じた[25][23]

人物

持論など

  • 「韓国民が意志を結集すれば、10年内に日本に追いつくことができる」(2005年の韓国のメディアの取材に対して[26])。
  • 「何よりも運転手の意識改革が先決だとの強い思いから挨拶と清掃を中心とした『基本』と『常識的なこと』の励行を徹底して行った」(近畿産業信用組合の「きんさん新聞」2009年6月1日号、第155号)。

家族・親族

  • 妻・文子(旧名:金本文子、本名 金貞順=キム・ジュンスン)との間に3男2女(長女・次女・長男信明・次男政明・三男義明)がいる[27]
    • 長男・信明は1961年生まれ。京都市出身、京都商業高校(現京都学園高校)卒、1983年10月にエムケイ入社。取締役、専務などを経て2002年11月から副社長、2003年からエムケイ代表取締役社長。
    • 次男・政明(本名 ユ・チャンワン)は東京エムケイの初代代表取締役社長となったが、幾度かの暴行事件を起こしその度退任・復帰を繰り返したのち、2017年12月の事件で再び社長を辞任した[28][29](→エムケイ (タクシー会社)#東京エムケイ社長(当時)による事件を参照)。
    • 三男・義明は大阪MK、神戸MK、福岡MK、関空MKの代表取締役社長を務める。
  • 実弟・青木秀雄は1936年韓国生まれ、1955年来日。立命館大学法学部卒、元エムケイ取締役副会長。著書に『お金ではなくいのちです-もうひとつのMKタクシー物語』(いのちのことば社サイトブックス、韓国版原書は韓国文部省青少年向け推薦図書)。キリスト教徒。

関連人物

  • 三木正雄
    • 1937年和歌山県生まれ。1956年県立和歌山商業高校卒。同年住友銀行入行、松原・和泉・池田各支店長を務める。1990年エムケイ産業専務、1991年エムケイ専務、1992年エムケイ社長、2002年エムケイ代表取締役社長[30]。2003年青木信明がエムケイ社長、三木は代表権のある会長に就任[31]

栄典

  • 韓国国民勲章無窮花章 (2004)
    • 韓国政府によって国内外の韓国一般市民に与えられている勲章である。2007年10月には張本勲もこの韓国国民勲章を受勲している。
    • 2004年6月24日付東洋経済日報は、「兪会長(青木)が韓国の国民勲章『無窮花章』を受けた時、その祝賀会の費用1,000万円が、近畿産業信用組合から出されたともいわれている」と報じた。

脚注

  1. ^ 訃報 兪奉植氏(民団京都本部常任顧問、元近畿産業信用組合代表理事会長) 在日本大韓民国民団 2019年9月1日閲覧。
  2. ^ a b 「エムケイ」創業者の青木定雄氏死去 88歳、タクシー業界の風雲児,SankeiBiz,2017年6月12日
  3. ^ “일본 MK그룹 유봉식 회장 - 뉴스인물” (朝鮮語). www.newsinmul.com (2006年8月17日). 2022年8月31日閲覧。
  4. ^ エムケイ創業者、青木定雄さん死去 国に値下げ闘争挑む 朝日新聞デジタル、2017年6月12日
  5. ^ 『産経新聞』1993年11月18日東京夕刊1面
  6. ^ “実録・構造改革 タクシー 目に見えていた規制緩和の顛末”. 全労連. 2021年9月16日閲覧。
  7. ^ “NHKスペシャル タクシードライバーは眠れない ~規制緩和・過酷な競争~”. NHK. 2022年1月16日閲覧。
  8. ^ NHK『クローズアップ現代』NO.2429など
  9. ^ “エムケイ創業者・青木氏、その禁欲と原動力”. 日経ビジネス. 2022年1月16日閲覧。
  10. ^ “がっちりマンデー!! 2005年3月13日放送 業界の常識を覆す!MKタクシー”. TBS. 2022年1月16日閲覧。
  11. ^ “MKタクシー創業者、在日韓国人社会の大物が同胞の反逆で失脚…後継ぎ息子は社員暴行”. Business Journal. 2022年1月16日閲覧。
  12. ^ a b “MKタクシー、低運賃の秘訣はブラック体質?経費全額ドライバー持ち、過酷研修?”. Business Journal. 2022年1月16日閲覧。
  13. ^ “会議録 第171回国会 国土交通委員会 第23号(平成21年6月9日(火曜日))”. 衆議院. 2021年9月16日閲覧。
  14. ^ 『産経新聞』 2006年1月1日 大阪朝刊第1面
  15. ^ “近畿産業信用組合に対する行政処分について”. 近畿財務局. 2021年1月16日閲覧。
  16. ^ “<在日社会>金融庁が近畿信組に経営責任問い業務改善命令”. 東洋経済日報 (2004年6月25日). 2022年1月16日閲覧。
  17. ^ “近畿産業信用組合、業務改善命令が解除”. 日刊工業新聞 (2015年6月23日). 2022年1月16日閲覧。
  18. ^ 産経新聞2006年3月13日付東京朝刊社会面記事
  19. ^ “衝撃事件の核心・特別版(1)エムケイ創業、立志伝中の在日1世「雄」が韓国民族金融トップを解任された瞬間”. 産経WEST. 2021年1月16日閲覧。
  20. ^ 『産経新聞』2005年6月28日大阪朝刊社会面など
  21. ^ 『産経新聞』2006年1月1日大阪朝刊第1面など
  22. ^ 『産経新聞』2005年8月6日大阪朝刊社会面など
  23. ^ a b c “在日コリア社会最大の権威「民族金融」…M&Aでのしあがり、私物化を重ねた在日韓国人の“ドン””. 産経ニュース. 2022年1月16日閲覧。
  24. ^ 『産経新聞』2005年4月21日大阪夕刊社会面など
  25. ^ 『産経新聞』2005年3月29日大阪朝刊第1面、第31面など
  26. ^ 東亜日報』「dongA.com 国際」2005年12月28日
  27. ^ 『MK青木定雄のタクシー革命』128頁東洋経済新報社、『人事興信録』上巻 平成19年 興信データ株式会社
  28. ^ タクシー会社元社長(東京エムケイ・青木政明氏)「ドライバーに後部座席から暴行」映像現代ビジネス、2013年04月15日
  29. ^ タクシー会社トップなのに…東京エムケイ社長、タクシー運転手の顔に靴投げつけ 容疑で逮捕
  30. ^ 『日本紳士録』第77版 平成14年 交詢社出版局および『新訂現代日本人名録』2002年 日外アソシエーツ
  31. ^ 『産経新聞』2003年4月16日

関連事項

外部リンク

  • エムケイホームページ
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