1252年
千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 12世紀 - 13世紀 - 14世紀 |
十年紀: | 1230年代 1240年代 1250年代 1260年代 1270年代 |
年: | 1249年 1250年 1251年 1252年 1253年 1254年 1255年 |
1252年(1252 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
他の紀年法
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凡例
- 分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。
- 「中国周辺」は、「広義の北アジア、中央アジア、及びこれに隣接する中国の一部地域(ほぼ中央ユーラシアに相当)」を指す。
- 一段右寄せの箇条に掲げた元号は、その上段の元号を建てた王朝に対抗する私年号である。
- 仏滅紀元及びユダヤ暦は、現在のところ元年と対応する西暦年から逆算した数を表示しており、旧暦等の暦日の記述とともに確実な出典を確認していないので利用には注意されたい。
- 皇紀は日本で1873年の太陽暦採用と同時に施行された。
- 檀紀は大韓民国で1948年から1961年まで公式に使用された。
- 主体暦は朝鮮民主主義人民共和国で1997年から公式に使用されている。
- 仏滅紀元は紀元前543年を元年とするタイ仏暦を基準にしている。スリランカなどでは紀元前544年を元年としているので1を加算されたい。
- 干支 : 壬子
- 日本
- 中国
- 南宋 : 淳祐12年
- 中国周辺
- 朝鮮
- ベトナム
- 陳朝 : 元豊2年
- 仏滅紀元 : 1794年 - 1795年
- イスラム暦 : 649年 - 650年
- ユダヤ暦 : 5012年 - 5013年
カレンダー
- 1252年のカレンダー(ユリウス暦)
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できごと
- 十訓抄成立
- 教皇インノケンティウス4世が大勅書「異端の根絶について(アド・エクスティルパンダ)(英語版)」を発布した。「異端の根絶について」は異端者から証拠を自供させるために拷問する際の状況と手段を規定した。[1]
誕生
「Category:1252年生」も参照
- 3月25日 - コッラディーノ、ホーエンシュタウフェン朝のシチリア王、エルサレム王(+ 1268年)
- 8月10日(建長4年7月4日) - 覚山尼、鎌倉幕府第8代執権の北条時宗の正室(+ 1306年)
- 12月17日(建長4年11月15日) - 日華、鎌倉時代の日蓮宗の僧(+ 1334年)
- 西園寺嬉子、亀山天皇の中宮(+ 1318年)
- 日頂、鎌倉時代の日蓮宗の僧(+ 1317年)
- ユーリイ・リヴォーヴィチ、ベルズ公、ハールィチ・ヴォルィーニ大公国の5代公、ルーシの国王(+ 1308年)
死去
「Category:1252年没」も参照
- 4月1日(建長4年2月21日) - 九条道家、鎌倉時代の公卿(* 1193年)
- 4月5日(建長4年2月25日) - 佐竹義重、鎌倉時代の武将、常陸国佐竹氏第4代当主(* 1186年)
- 5月30日 - フェルナンド3世、カスティーリャ王、レオン王(* 1201年)
- 6月29日 - アーベル、デンマーク王(* 1218年)
- 7月15日(建長4年6月8日) - 覲子内親王(宣陽門院)、鎌倉時代の皇族、女院(* 1181年)
- 8月1日 - プラノ・カルピニ、ヴェネツィア共和国の修道士 (* 1182年)
- 10月3日(建長4年8月28日) - 良遍、鎌倉時代の法相宗の僧(* 1194年)
- 10月8日(建長4年8月26日) - 北条時長、鎌倉時代の武士(* 生年未詳)
- 11月27日 - ブランシュ・ド・カスティーユ、フランス王ルイ8世の王妃(* 1188年)
- イェス・モンケ、モンゴル帝国の皇族、チャガタイ・ハン国の第3代君主(* 生年未詳)
- カラ・フレグ、モンゴル帝国の皇族、チャガタイ・ハン国の第2代君主(* 生年未詳)
- ソルコクタニ・ベキ、チンギス・カンの第4子・トルイの正妃(* 生年未詳)
出典
- ^ クリスチャンソン 2018, p. 34「異端の根絶について(アド・エクスティルパンダ)」
参考文献
- スコット・クリスチャンソン(英語版)、2018、『図説 世界を変えた100の文書』、創元社 ISBN 978-4-422-21530-3
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、1252年に関連するカテゴリがあります。