サミー・ソーサ

曖昧さ回避 この項目では、元野球選手について説明しています。サッカー選手については「サムエル・ソーサ」をご覧ください。
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はペラルタ第二姓(母方の姓)はソーサです。
サミー・ソーサ
Sammy Sosa
2012年
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 サンペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス
生年月日 (1968-11-12) 1968年11月12日(55歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手指名打者
プロ入り 1985年 アマチュア・フリーエージェントとしてテキサス・レンジャーズと契約
初出場 1989年6月16日
最終出場 2007年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

サミュエル・ケルヴィン・ペラルタ・ソーサSamuel Kelvin Peralta Sosa, 1968年11月12日 - )は、ドミニカ共和国サンペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス出身の元プロ野球選手右翼手)。右投げ右打ち。

ニックネームは"Slammin' Sammy"(スラミン・サミー)。アメリカ合衆国外出身選手として2番目に多い本塁打記録を持つ[1]

経歴

プロ入り前

貧しい家庭に育ち、7歳の時に父親が42歳で死去した[2]。オレンジジュースの販売や靴磨きで生計を助け、木の枝をバット替わりにし牛乳の紙パックをグラブ替わりに野球をしていた[3]

レンジャース時代

1985年7月30日、ドラフト外でテキサス・レンジャースと契約。

1989年6月16日ヤンキース戦でメジャーデビュー。

ホワイトソックス時代

1989年7月29日シカゴ・ホワイトソックスへトレードで移籍。

1990年は153試合に出場してリーグ7位の32盗塁を記録し、二塁打三塁打本塁打盗塁の4つの部門でリーグで唯一となる2桁以上の成績を残した[3]。しかし打率は.233と低く、リーグで4番目に多い150三振を記録した。

1991年は開幕戦で2本塁打、5打点の活躍も、その後は打率が2割で推移し[4] 不振のためシーズン途中マイナーに降格した。

カブス時代

1992年3月30日にジョージ・ベルとのトレードで、ケン・パターソンとともにシカゴ・カブスへ移籍した。

1992年は故障者リスト入りしたため67試合の出場にとどまった。

1993年は33本塁打、36盗塁で球団史上初めて30-30を達成し[3]、6月30日から7月2日にかけて9打席連続安打を放ち球団タイ記録(1902年以降)となり、9月29日には1試合4盗塁で球団タイ記録となった[5]

1994年は打率.300、25本塁打、70打点とビル・バックナー以来13年ぶりにチーム3冠を達成した[6]

1995年は36本塁打、34盗塁で再び30-30を達成した。オールスターに初めて選出され、シルバースラッガー賞を初受賞した。

1996年は8月20日に死球を受け、この試合を最後にシーズンを終えてしまった。本塁打数は40本を記録し、5月16日のアストロズ戦では、1イニング2本塁打と球団史上初の快挙を達成した。7月には打率.358、10本塁打、29打点の活躍でプレイヤー・オブ・ザ・マンスを初めて受賞した[7]

1997年は全162試合(161試合に先発出場)に出場して球団記録を更新する174三振[8]。この年1998年から4年総額4250万ドルで契約延長した[9]

シカゴ・カブス時代
(1998年)

1998年マーク・マグワイアシーズン最多本塁打記録争いを繰り広げ、ともにロジャー・マリス1961年に記録した年間最多本塁打記録61を破り、最終的にソーサが66本、マグワイアが70本を記録した。5月24日時点でソーサの本塁打数は9でマグワイアに対し15本も差があったが、翌日からの30日間に21本塁打を放ち、6月には月間新記録となる20本塁打を記録した[3]。9月13日にマグワイアに5日遅れでマリスの記録を上回り、9月23日にシーズン11回目となる複数本塁打を放ち、ハンク・グリーンバーグのMLB記録に60年ぶりに並んだ[3]

本塁打王になれなかったが、158打点で打点王。塁打数はリーグ最多の416を記録した。これは1948年スタン・ミュージアルが429塁打を記録して以降最多である[10]。チームのワイルドカードでのプレーオフ進出に貢献し、MVPの投票で32票中30票の1位票を集めMVPを受賞した[11]

1998年1999年2001年の3シーズンに60本塁打以上を記録したがいずれのシーズンも本塁打王のタイトルを獲得していない(1998年、マグワイア:70本、ソーサ:66本、1999年、マグワイア:65本、ソーサ:63本、2001年、バリー・ボンズ:73本、ソーサ:64本)。しかし2000年(50本塁打)と2002年(49本塁打)の2回本塁打王となっている。

1999年に制定されたハンク・アーロン賞の初代受賞者となっている。

2000年の本塁打競争ではケン・グリフィー・ジュニアを破りチャンピオンになっている[12]

2001年史上初めて3回目の60本塁打を達成した。425塁打、103長打、長打率.737はいずれも1930年ハック・ウィルソンが記録した423塁打、97長打、長打率.723を上回る球団新記録となった[13]

球団とは2002年から4年総額7200万ドルで契約延長した[14]。 

2003年4月4日、500本塁打を達成。

6月3日、当時の本拠地シカゴで行われたデビルレイズ戦で、折れたバットの中から使用禁止されているコルクが入っているのが見つかった。ソーサは主審のティム・マクレランドから退場処分を受け、後に更に7試合の出場停止処分が下された。[15] 発覚後、ESPN等のスポーツ誌は、1919年のブラックソックス事件に関わる有名なフレーズをもじって、"Say It Ain't Sosa!"(嘘だと言ってよソーサ!)という見出しをつけこの事件を報じた[16]。本人は試合前の打撃練習のエキシビジョンで使用するためのものを誤って使用した、と弁明している。

オリオールズ時代

ボルチモア・オリオールズ時代
(2006年3月)

2005年2月2日にマイク・フォンテノージェリー・ヘアストンに加えマイナーリーガー1名プラス金銭とのトレードでボルチモア・オリオールズに移籍した。オリオールズにはラファエル・パルメイロが在籍していたため史上初めて500本塁打コンビとなった。
しかしシーズンでは14本塁打、45打点と1992年以来の低水準だった。

2005年末にFA申請したものの、2006年シーズンが始まっても所属チームが決まらず、通算600本塁打を目前にしながら去就が注目されていたところ、ワシントン・ナショナルズから50万ドルでのメジャー契約が提示されたものの拒否、事実上の引退状態となっていたが(公式の表明はせず)、2006年7月、シカゴ地元紙に2007年シーズンからの復帰の意向を明らかにし、シーズンオフにはトレーニングと併行して各球団との交渉を行った。1998年、マグワイアとの壮絶な本塁打争いは日本でも大きく取り上げられ、日米野球で来日した際にも大きな声援を受けた過去があったこともあり、この年阪神タイガース横浜ベイスターズ等日本球界にも売り込みをしたが、39歳という高齢や引退状態であった事によるプレーヤーとしてのブランクを懸念され、どの球団も入団には至らなかった[17][18]

レンジャーズ復帰

テキサス・レンジャーズ時代
(2007年7月2日)

2007年1月17日に、古巣であるレンジャーズとのマイナー契約に基本合意。キャンプでのメジャー復帰を目指していたが、オープン戦ではブランクを感じさせない好調ぶりでメジャー契約に切り替えとなり、開幕メジャーの25人枠入りも果たした。

2007年4月26日にジェイコブス・フィールドで行われたクリーブランド・インディアンス戦で通算44球場目となる本塁打を放ち、フレッド・マグリフケン・グリフィー・ジュニアの持つメジャーリーグ記録を更新した。

4月は7本塁打の量産ぶりも、5月以降は一転沈黙。足踏み状態が続いていたが、6月20日の古巣カブス戦でMLB史上5人目の通算600号本塁打となる今季第12号を放ち、地元テキサスのファンは大歓声で祝福した。その記念ボールは同チームの大塚晶則投手がブルペンでキャッチ、その後ボールはソーサの手に渡った。

シーズン後半戦は欠場がちとなったが、114試合の出場ながら、21本塁打、92打点とまずまずの成績で、なお一線で活躍できることを示し、翌年以降の現役続行を表明した。ところが、オフのミッチェル報告書に端を発する大騒動の中で、ソーサの薬物疑惑も再燃。同報告書には名前が無かったものの、司法省の開示資料の中にソーサの名前があることが報じられた。同年フリーエージェントとなった。

2008年以降

現役引退後は、慈善事業などを手がけている。

人物

慈善活動

故郷のドミニカ共和国に総額120万ドルを投じて、オフィスビル「30-30プラザ」を設立。市民に対して、職を供給している。また、国を問わず、難病に苦しむ子供たちの病院を訪れたり、障害者のための基金を運営するなど、様々な慈善活動に熱心に取り組んでいる。

薬物使用疑惑

2005年3月17日の下院公聴会における証言では禁止薬物の使用に関しては全面否定している。しかし2009年6月16日、6年前に実施された名前非公表のドーピング検査で禁止薬物に陽性反応を示していたことがニューヨーク・タイムズ紙によって報じられた(何の薬物であるかは明らかにされなかった)[19]

肌の白色化

黒人であるため元々は色黒であったが、2017年には尋常性白斑に罹患したマイケル・ジャクソンのような美白を果たした姿で話題になった。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1989 TEX 25 88 84 8 20 3 0 1 26 3 0 2 4 0 0 0 0 20 3 .238 .238 .310 .548
CWS 33 115 99 19 27 5 0 3 41 10 7 3 1 2 11 2 2 27 3 .273 .351 .414 .765
'89計 58 203 183 27 47 8 0 4 67 13 7 5 5 2 11 2 2 47 6 .257 .303 .366 .669
1990 153 579 532 72 124 26 10 15 215 70 32 16 2 6 33 4 6 150 10 .233 .282 .404 .687
1991 116 338 316 39 64 10 1 10 106 33 13 6 5 1 14 2 2 98 5 .203 .240 .335 .576
1992 CHC 67 291 262 41 68 7 2 8 103 25 15 7 4 2 19 1 4 63 4 .260 .317 .393 .710
1993 159 641 598 92 156 25 5 33 290 93 36 11 0 1 38 6 4 135 14 .261 .309 .485 .794
1994 105 458 426 59 128 17 6 25 232 70 22 13 1 4 25 1 2 92 7 .300 .339 .545 .884
1995 144 629 564 89 151 17 3 36 282 119 34 7 0 2 58 11 5 134 8 .268 .340 .500 .840
1996 124 541 498 84 136 21 2 40 281 100 18 5 0 4 34 6 5 134 14 .273 .323 .564 .888
1997 162 694 642 90 161 31 4 36 308 119 22 12 0 5 45 9 2 174 16 .251 .300 .480 .779
1998 159 722 643 134 198 20 0 66 416 158 18 9 0 5 73 14 1 171 20 .308 .377 .647 1.024
1999 162 712 625 114 180 24 2 63 397 141 7 8 0 6 78 8 3 171 17 .288 .367 .635 1.002
2000 156 705 604 106 193 38 1 50 383 138 7 4 0 8 91 19 2 168 12 .320 .406 .634 1.040
2001 160 711 577 146 189 34 5 64 425 160 0 2 0 12 116 37 6 153 6 .328 .437 .737 1.174
2002 150 666 556 122 160 19 2 49 330 108 2 0 0 4 103 15 3 144 14 .288 .399 .594 .993
2003 137 589 517 99 144 22 0 40 286 103 0 1 0 5 62 9 5 143 14 .279 .358 .553 .911
2004 126 539 478 69 121 21 0 35 247 80 0 0 0 3 56 4 2 133 9 .253 .332 .517 .849
2005 BAL 102 424 380 39 84 15 1 14 143 45 1 1 0 3 39 3 2 84 15 .221 .295 .376 .671
2007 TEX 114 454 412 53 104 24 1 21 193 92 0 0 0 5 34 3 3 112 11 .252 .311 .468 .779
MLB:18年 2354 9896 8813 1475 2408 379 45 609 4704 1667 234 107 17 78 929 154 59 2306 202 .273 .344 .534 .878
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)




































1989 TEX 12 20 1 1 0 .955 8 14 0 1 0 .933 1 0 0 0 0 ----
CWS 1 0 0 0 0 ---- 25 44 1 2 0 .957 9 15 0 0 0 1.000
'89計 13 20 1 1 0 .955 33 58 1 3 0 .952 10 15 0 0 0 1.000
1990 - 1 1 0 0 0 1.000 152 313 14 13 1 .962
1991 1 0 0 0 0 ---- 14 19 1 0 0 1.000 102 195 5 6 0 .971
1992 CHC - 67 145 4 6 1 .961 -
1993 - 70 145 5 5 2 .968 114 201 11 4 2 .981
1994 - 15 29 1 2 0 .938 98 218 4 6 2 .974
1995 - - 143 318 13 13 4 .962
1996 - - 124 253 15 10 1 .964
1997 - - 161 325 16 8 1 .977
1998 - 7 15 0 0 0 1.000 156 324 14 9 2 .974
1999 - 25 77 3 1 0 .988 146 322 5 8 3 .976
2000 - 2 2 0 0 0 1.000 156 321 4 10 1 .970
2001 - - 160 326 8 6 1 .982
2002 - - 150 283 7 6 1 .980
2003 - - 137 212 2 5 1 .977
2004 - - 124 238 5 4 2 .984
2005 BAL - - 66 121 3 3 1 .976
2007 TEX - - 16 32 1 0 0 1.000
MLB 14 20 1 1 0 .955 234 491 15 17 3 .967 2015 4017 127 111 23 .974
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰

記録

  • オールスター選出:7回(1995年1998年 - 2002年2004年
  • 通算本塁打:609(歴代9位)
    「en:List of Major League Baseball career home run leaders」も参照
  • 通算三振数:2306(歴代4位)
    「en:List of Major League Baseball career strikeouts by batters leaders」も参照
  • 連続2試合での合計打点:14(2002年8月10日、11日:ナショナルリーグ記録)
  • シーズン複数本塁打試合数:11(1998年、歴代1位タイ)※ハンク・グリーンバーグ(1938年)に並ぶ

背番号

  • 17(1989年 - 同年途中)
  • 25(1989年途中 - 1991年)
  • 21(1992年 - 2005年、2007年)

脚注

  1. ^ Pujols foreign-born HR leader with No. 610 MLB.com (英語) (2017年8月23日) 2017年8月25日閲覧
  2. ^ キャリーマスカット・著者『神さまがくれたホームラン サミー・ソーサ』2000年、33頁。
  3. ^ a b c d e “The Ballplayers - Sammy Sosa” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年10月3日閲覧。
  4. ^ Sammy Sosa - Hitting Game Log- 1991 2008年1月9日閲覧.
  5. ^ “Sammy Sosa 1993 Career Highlights” (英語). 2008年4月26日閲覧。
  6. ^ “Sammy Sosa 1994 Career Highlights” (英語). 2008年4月26日閲覧。
  7. ^ “Sammy Sosa 1996 Career Highlights” (英語). 2008年4月26日閲覧。
  8. ^ Chicago Cubs Batting Leaders - Baseball-Reference.com 2008年1月9日閲覧.
  9. ^ Sosa Signs 4-Year, $42.5 Million Deal - New York Times 2008年1月9日閲覧.
  10. ^ Single-Season Leaders & Records for Total Bases - Baseball-Reference.com 2008年1月9日閲覧.
  11. ^ Baseball Awards Voting for 1998 - Baseball-Reference.com 2008年1月9日閲覧.
  12. ^ “Sammy Sosa 2000 Career Highlights” (英語). 2008年4月26日閲覧。
  13. ^ “Sammy Sosa 2001 Career Highlights” (英語). 2008年4月26日閲覧。
  14. ^ Dodgers agree to deal with Nakamura | The Japan Times Online 2008年1月9日閲覧.
  15. ^ コルク入りバットは軽量なためスイングスピードが上がり長打を生みやすい、安定したスイートスポット=真芯が得られる、などとも言われている。逆に純粋な飛距離は2、3メートル落ちるという説もある。
  16. ^ Associated Press (2003年6月5日). “Say it ain't so, Sammy” (英語). The Japan Times Online. 2008年12月10日閲覧。
  17. ^ “元通算588本塁打、サミー・ソーサ外野手が阪神に売り込み。”. ナリナリドットコム. (2006年9月21日). https://www.narinari.com/Nd/2006096502.html 2022年9月21日閲覧。 
  18. ^ ナリナリドットコム. (2006年12月18日). https://www.narinari.com/Nd/2006126898.html=横浜がソーサ外野手を門前払い、5,000万円でも「詐欺のようなもの」。+2022年9月21日閲覧。 
  19. ^ “Report: Sosa tested positive in 2003” (英語). espn.go.com. 2013年10月7日閲覧。

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、サミー・ソーサに関連するカテゴリがあります。
  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
 
業績
ナショナルリーグMVP
チャルマーズ賞
リーグ表彰

以下、全米野球記者協会(BBWAA)による表彰

1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ナショナルリーグ本塁打王
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
  • 00 ハーマン・ロング(英語版)
  • 01 サム・クロフォード
  • 02 トミー・リーチ(英語版)
  • 03 ジミー・シェッカード
  • 04 ハリー・ラムリー(英語版)
  • 05 フレッド・オドウェル(英語版)
  • 06 ティム・ジョーダン(英語版)
  • 07 デーブ・ブレイン(英語版)
  • 08 ティム・ジョーダン(英語版)
  • 09 レッド・マレー(英語版)
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ナショナルリーグ打点王
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1990年代

99 サミー・ソーサ

2000年代
2010年代
2020年代

太字は現役選手

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