フェルディナント1世 (神聖ローマ皇帝)

フェルディナント1世
Ferdinand I
神聖ローマ皇帝
在位 1531年 - 1564年
戴冠式 1531年1月5日(ローマ王)
別号 ハンガリー国王
ボヘミア国王
オーストリア大公
ケルンテン公
クライン公
シュタイアーマルク公
チロル伯

出生 1503年3月10日
カスティーリャ王国アルカラ・デ・エナーレス
死去 1564年7月25日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
オーストリアの旗 オーストリア大公国ウィーン
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ボヘミア王国プラハ聖ヴィート大聖堂
配偶者 アンナ・ヤギエロ
子女 エリーザベト
マクシミリアン2世
アンナ
フェルディナント2世
マリア
マグダレーナ
カタリーナ
エレオノーレ
マルガレーテ
バルバラ
カール2世
ヘレーナ
ヨハンナ
家名 ハプスブルク家
王朝 ハプスブルク朝
父親 フィリップ美公
母親 カスティーリャ女王フアナ
サイン
テンプレートを表示

フェルディナント1世ドイツ語:Ferdinand I, 1503年3月10日 - 1564年7月25日[1])は、神聖ローマ皇帝(在位:1556年 - 1564年)でオーストリア・ハプスブルク家当主。ボヘミア国王ハンガリー国王(在位:1526年 - 1564年)。神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の長男フィリップとカスティーリャ女王 フアナの間の次男で、先代皇帝カール5世(スペイン国王 カルロス1世)の弟、シャルル突進公とカスティーリャ王フアン2世の曾孫、フィリップ善良公とカスティーリャ王エンリケ3世の玄孫、ジャン無怖公とカスティーリャ王フアン1世の来孫、フィリップ豪胆公とカスティーリャ王エンリケ2世の昆孫であり、フェルディナント2世は孫であり曾孫、フェリペ3世は曾孫、フェルディナント3世は曾孫であり玄孫、フェリペ4世は玄孫、レオポルト1世は玄孫であり来孫、カルロス2世は昆孫、ヨーゼフ1世とカール6世は来孫であり昆孫、マリア・テレジアは昆孫であり仍孫、マリー・アントワネットは仍孫であり雲孫である。1531年から1556年までは兄の皇太弟としての共同ローマ王だった。スペインで生まれ育ち[2]、スペイン名はフェルナンドローマ王時代はオスマン帝国の攻撃に耐え抜き、皇帝時代は宗教改革後の帝国をうまく宥め50年の平和を作り出した。

生涯

1503年3月10日、カスティーリャ王国アルカラ・デ・エナーレスで生まれる[2]。母方の祖父フェルナンド2世に因んで名付けられた。スペインで育ち、スペイン語が母語であったため、スペインの人々はフェルナンドのスペイン王位継承を望んでいたが、1516年フランドルで生まれ育った兄カルロスとトレードされるような形でオーストリアへ趨き、生涯スペインに戻ることはなかった。それでも離れて育った兄弟の初対面は成功し、兄とは生涯良好な関係を保った。また1515年に祖父マクシミリアン1世により、ボヘミアハンガリーの国王ウラースロー2世の娘アンナとの結婚とフェルディナントの妹マリアとアンナの弟ラヨシュ2世との結婚(ウィーン二重結婚)が定められるが、この時点ではアンナ王女の夫はカールかフェルディナントか決定されていなかった[3]。最終的に結婚相手を将来の皇帝であるカールではなくフェルディナントに決めると、ハンガリー側からは猛反発を受けた。しかし結果として、フェルディナントとアンナの2人にとっては幸福な結婚となった[4]

1521年、マクシミリアン1世の遺領分割で、兄カール5世の叡慮によりオーストリアを相続し[5]リンツでアンナと結婚した[6]1526年モハーチの戦いで義弟ラヨシュ2世が戦死したため、ボヘミア王位とハンガリー王位が空位となると、フェルディナントはこの2か国の王位を継承し、ハプスブルク帝国成立の礎を築いた[7]。しかし、オスマン帝国の後ろ盾でトランシルヴァニア領主サポヤイ・ヤーノシュがハンガリー国王(対立王)に即位し、崩御後はその子ヤーノシュ・ジグモンドが即位したため、ハンガリー全土を実効支配することは出来なかった。また、1529年にはいわゆる第一次ウィーン包囲も受けている。この時はルター派諸侯の力を借りている。

カール5世の皇帝在位中の1531年に、アーヘンローマ王の戴冠を受けた。1549年にフェルディナントとその子孫の帝位世襲が取り決められ、ドイツで問題になっていたカトリックプロテスタントの宥和に尽力、1552年パッサウ条約1555年アウクスブルクの和議を結んだ。1556年にカール5世の退位を受けてフェルディナントが帝位を継承した。

ボヘミア・ハンガリーでは王権の強化を図り、ハンガリーでは失敗したが、ボヘミアではある程度成功し、1547年シュマルカルデン戦争に乗じて起こった反乱を鎮圧、ハプスブルク家のボヘミア王位の世襲を認めさせ、1556年のイエズス会招聘や1561年プラハ大司教の復活など対抗宗教改革の導入にも尽力した。

1564年、61歳で崩御した。遺領は3分割され、長男のマクシミリアン2世が神聖ローマ皇帝・ボヘミア国王・ハンガリー国王を、次男のフェルディナント2世がチロル伯領を、三男のカール2世がシュタイアーマルク公国ケルンテン公国クライン公国をそれぞれ継承した[8]

兄との生前の取り決めでは、フェルディナント1世の次は甥(兄の息子)フェリペが帝位を継承し、以後カール5世とフェルディナント1世の家系が交互に継承することになっていたが[9]、これは無視されて次の皇帝にはフェルディナント1世の息子マクシミリアン2世が即位した。スペイン・ハプスブルク家もこれを容認したため、以後もフェルディナント1世の家系、オーストリア・ハプスブルク家が帝位を世襲していくことになる。

人物

宗教面ではカトリックとプロテスタントの両立を図り、ドイツではアウクスブルクの和議締結(1555年)に尽くした[10]。ボヘミアでもプロテスタント(フス派)の弾圧をせず穏健な手段を選び、カトリックの教育機関の設立、プラハ大司教の再設置などで徐々にカトリック化する方針にした。ただし、フス派の一派であるモラヴィア兄弟団は領国から追放、息子マクシミリアン2世のプロテスタント寄りの姿勢を改めさせるなど厳格な姿勢で臨む例もあった。

文化面では、若い時代をスペイン宮廷で過ごしたフェルディナント1世は、食文化を中心とするスペインの宮廷文化をウィーンに伝えようとした。1523年には貴族の子女を対象としたウィーン初の料理学校を設立、宮廷晩餐会の規則も整備した。ボヘミアでは王妃アンナのためにプラハ城の北に離宮を建設、イタリア貴族と姻戚関係を結んでいた影響でルネサンスが普及、有力貴族たちの宮殿建設やイタリアの文化・学問が広まっていった。

母方の祖父の下、謹厳なスペイン宮廷で兄弟姉妹と離れて育ったが、明朗快活であり、肉親に対して温かな愛情をしばしば示した。ハンガリー王室との婚姻の際に実妹であるマリアと初めて対面したが、周囲をはばからず、初対面の妹に駆け寄り抱きしめたエピソードがある。兄であるカール5世とともに育ち、強い信頼関係を築いていたマリアと良好な関係を持てたことは、後に兄と弟の家系で皇位継承が議論された際に大きく寄与することになる[11]

子女

アンナとの間には15人の子がおり[12]、ハプスブルク家の多産の伝統の先駆けである。

系譜

フェルディナント1世

ブルゴーニュ公
フィリップ4世

祖父

神聖ローマ皇帝
マクシミリアン1世

曽祖父

神聖ローマ皇帝
フリードリヒ3世

曽祖母

ポルトガル王女
エレオノーレ[1]

祖母

ブルゴーニュ女公
マリー

曽祖父

ブルゴーニュ公
シャルル[2]

曽祖母
イザベル・ド・ブルボン

カスティーリャ女王
フアナ

祖父

アラゴン国王
フェルナンド2世

曽祖父

アラゴン国王
フアン2世

曽祖母
フアナ・エンリケス
祖母

カスティーリャ女王
イサベル1世

曽祖父

カスティーリャ国王
フアン2世

曽祖母

ポルトガル王女
イサベル[3]

[1]の父はポルトガル王ドゥアルテ1世。ジョアン1世の子で、弟にエンリケ航海王子や[3]の父ジョアン、妹に[2]の母イザベルがいる。よって、[1]と[2]と[3]は、共にジョアン1世を祖父とするいとこ同士となる。

兄カール5世(スペイン国王カルロス1世)の他、姉妹に

  • レオノール(ポルトガル国王マヌエル1世妃・フランス国王フランソワ1世妃 1498年 - 1558年)
  • イサベル(デンマーク国王クリスチャン2世妃 1501年 - 1526年)
  • マリア(ボヘミア国王・ハンガリー国王ラヨシュ2世妃 1505年 - 1558年)
  • カタリナ(ポルトガル国王ジョアン3世妃 1506年 - 1578年)

がいる。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ “ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2018年2月12日閲覧。
  2. ^ a b グレーシング、p. 81
  3. ^ 瀬原、p. 438
  4. ^ グレーシング、p. 95、p. 99
  5. ^ ツェルナー、p. 210
  6. ^ グレーシング、p. 96
  7. ^ ツェルナー、p. 240-241
  8. ^ ツェルナー、p. 252
  9. ^ 江村、p. 115
  10. ^ 江村、p. 113
  11. ^ ライトナー、p. 147-148
  12. ^ グレーシング、p. 99

参考文献

  • 薩摩秀登 『プラハの異端者たち-中世チェコのフス派にみる宗教改革-』 現代書館、1998年
  • 南塚信吾編 『新版 世界各国史19 ドナウ・ヨーロッパ史』 山川出版社、1999年
  • 新人物往来社編 『ビジュアル選書 ハプスブルク帝国』 新人物往来社、2010年
  • テア・ライトナー 『ハプスブルクの女たち』 新書館、1996年
  • 瀬原義生 『ドイツ中世後期の歴史像』 文理閣、2011年
  • エーリヒ・ツェルナー 『オーストリア史』 彩流社、2000年
  • 江村洋 『ハプスブルク家』 講談社現代新書、1990年
  • ジクリト=マリア・グレーシング 『ハプスブルク愛の物語―王冠に優る恋』 東洋書林、1999年

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、フェルディナント1世 (神聖ローマ皇帝)に関連するメディアがあります。
  • ハプスブルク帝国
  • 正義はなされよ、たとえ世界が滅びるとも (Fiat iustitia, et pereat mundus:フェルディナント1世のモットー
爵位・家督
先代
カール5世
神聖ローマ皇帝
1556年 - 1564年
次代
マクシミリアン2世
爵位・家督
先代
ラヨシュ2世
ハンガリー国王
1526年 - 1564年
次代
ミクシャ1世
爵位・家督
先代
ルドヴィーク
ボヘミア国王
1526年 - 1564年
次代
マクシミリアン1世
爵位・家督
先代
カール1世
オーストリア大公
1521年 - 1564年
次代
マクシミリアン2世
(オーストリア)
カール2世
(内)
フェルディナント2世
(前方)
爵位・家督
先代
カール1世
ケルンテン公
1521年 - 1564年
次代
前方オーストリア大公位へ統合
爵位・家督
先代
カール1世
クライン公
1521年 - 1564年
次代
カール2世
爵位・家督
先代
カール1世
シュタイアーマルク公
1521年 - 1564年
次代
内オーストリア大公位へ統合
爵位・家督
先代
カール5世
チロル伯
1521年 - 1564年
次代
フェルディナント2世
  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、ヨーロッパの歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/P:ヨーロッパ/PJ歴史/PJ:ヨーロッパ)。

  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、スペインの歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:歴史/Portal:スペイン)。

  • 表示
  • 編集
カロリング朝
  • カール1世800-814
  • ルートヴィヒ1世813-840
  • ロタール1世817-855
  • ルートヴィヒ2世850-875
  • カール2世875-877
  • カール3世881-887
  • グイード1891-894
  • ランベルト1891-898
  • アルヌルフ896-899
  • ルートヴィヒ3世2901-915
  • ベレンガル3915-924
ザクセン朝
  • オットー1世962-973
  • オットー2世967-983
  • オットー3世996-1002
  • ハインリヒ2世1014-1024
ザーリアー朝
  • コンラート2世1027-1039
  • ハインリヒ3世1046-1056
  • ハインリヒ4世1084-1105
  • ハインリヒ5世1111-1125
  • ロタール3世41133-1137
ホーエンシュタウフェン朝
  • フリードリヒ1世1155-1190
  • ハインリヒ6世1191-1197
  • オットー4世51209-1215
  • フリードリヒ2世1220-1250
ルクセンブルク家
  • ハインリヒ7世1312-1313
  • ルートヴィヒ4世61328-1347
  • カール4世1355-1378
  • ジギスムント1433-1437
ハプスブルク家
  • フリードリヒ3世1452-1493
  • マクシミリアン1世1508-1519
  • カール5世1530-1556
  • フェルディナント1世1558-1564
  • マクシミリアン2世1564-1576
  • ルドルフ2世1576-1612
  • マティアス1612-1619
  • フェルディナント2世1619-1637
  • フェルディナント3世1637-1657
  • レオポルト1世1658-1705
  • ヨーゼフ1世1705-1711
  • カール6世1711-1740
  • カール7世61742-1745
ハプスブルク=ロートリンゲン家
  • フランツ1世71745-1765
  • ヨーゼフ2世1765-1790
  • レオポルト2世1790-1792
  • フランツ2世1792-1806
アールパード朝(大公)
  • アールモシュ(英語版)855頃-895頃
  • アールパード895頃-907頃
  • ジョルト(英語版)907頃-947頃
  • ファリチ(英語版)947頃-955頃
  • タクショニュ(英語版)955頃-972頃
  • ゲーザ(英語版)972頃-997
  • イシュトヴァーン997-1000
アールパード朝(王)
  • イシュトヴァーン1世1000-1038
  • ペーテル1038-1041
  • シャームエル1041-1044
  • ペーテル(復位)1044-1046
  • アンドラーシュ1世1046-1060
  • ベーラ1世1060-1063
  • シャラモン1063-1074
  • ゲーザ1世1074-1077
  • ラースロー1世1077-1095
  • カールマーン1095-1116
  • イシュトヴァーン2世1116-1131
  • ベーラ2世1131-1141
  • ゲーザ2世1141-1162
  • イシュトヴァーン3世1162-1172
  • ラースロー2世(対立王)1162-1163
  • イシュトヴァーン4世(対立王)1163-1165
  • ベーラ3世1172-1196
  • イムレ1196-1204
  • ラースロー3世1204-1205
  • アンドラーシュ2世1205-1235
  • ベーラ4世1235-1270
  • イシュトヴァーン5世1270-1272
  • ラースロー4世1272-1290
  • アンドラーシュ3世1290-1301
プシェミスル朝
  • ヴェンツェル1301-1305
ヴィッテルスバッハ朝
  • オットー1305-1307
アンジュー朝
  • カーロイ1世1308-1342
  • ラヨシュ1世1342-1382
  • マーリア1382-1385
  • カーロイ2世1385-1386
  • マーリア(復位)1386-1395
ルクセンブルク朝
  • ジグモンド1387-1437
ハプスブルク朝
  • アルベルト1437-1439
ヤゲロー朝
  • ウラースロー1世1440-1444
ハプスブルク朝
フニャディ朝
  • マーチャーシュ1世1458-1490
ヤゲロー朝
  • ウラースロー2世1490-1516
  • ラヨシュ2世1516-1526
ハプスブルク朝
ハプスブルク=ロタリンギア朝
  • ヨージェフ2世1780-1790
  • リポート2世1790-1792
  • フェレンツ1世1792-1835
  • フェルディナーンド5世1835-1848
  • フェレンツ・ヨージェフ1世1848-1916
  • カーロイ4世1916-1918
  • 1918年、ハンガリー人民共和国成立
ボヘミアの旗 ボヘミア君主 ボヘミア王国の紋章
プシェミスル朝(ボヘミア公)
  • ボジヴォイ1世850/71-894/5
  • スピチフニェフ1世894/5-905/15
  • ヴラチスラフ1世905/15-921
  • ヴァーツラフ1世921-929
  • ボレスラフ1世929-967
  • ボレスラフ2世967-999
  • ボレスラフ3世996-1002
ピャスト朝(ボヘミア公)
  • ヴラジヴォイ1002-1003
  • ボレスラフ4世1003-1004
プシェミスル朝(ボヘミア公)
  • ヤロミール1004-1012
  • オルドジフ1012-1033
  • ヤロミール(復位)1033-1034
  • ブジェチスラフ1世1034-1055
  • スピチフニェフ2世1055-1061
  • ヴラチスラフ2世1061-1092(王:1085-1092)
  • コンラート1世1092
  • ブジェチスラフ2世1092-1100
  • ボジヴォイ2世1100-1107
  • スヴァトプルク1107-1109
  • ヴラジスラフ1世1109-1117
  • ボジヴォイ2世(復位)1117-1120
  • ヴラジスラフ1世(復位)1120-1125
  • ソビェスラフ1世1125-1140
  • ヴラジスラフ2世1140-1173(王:1158-1173)
  • ベドジフ1172-1173
  • ソビェスラフ2世1173-1178/9
  • ベドジフ(復位)1178/9-1189/92
  • コンラート2世1189-1191
  • ヴァーツラフ2世1191-1192
  • オタカル1世1192-1193
  • インジフ・ブジェチスラフ1193-1197
  • ヴラジスラフ3世1197
  • オタカル1世(復位)1197-1198
プシェミスル朝(ボヘミア王)
  • オタカル1世1198-1230
  • ヴァーツラフ1世1230-1253
  • オタカル2世1253-1278
  • ヴァーツラフ2世1278-1305
  • ヴァーツラフ3世1305-1306
メンハルド朝
  • インジフ・コルタンスキー1306
ハプスブルコヴェ朝
  • ルドルフ1世1306-1307
メンハルド朝
  • インジフ・コルタンスキー(復位)1307-1310
ルケンブルコヴェ朝
ハプスブルコヴェ朝
ポジェブラト朝
  • イジー1458-1471
フニャディ朝
  • マティアス1世(対立王)1469-1490
ヤゲロンキ朝
  • ヴラジスラフ・ヤゲロンスキー1471-1516
  • ルドヴィーク1516-1526
ハプスブルコヴェ朝
  • フェルジナント1世1526-1564
  • マクシミリアン1世1564-1576
  • ルドルフ2世1576-1612
  • マティアス2世1612-1619
ヴィッテルスバホヴェ(ファルツ)朝
  • フリードリヒ1世1619-1620
ハプスブルコヴェ朝
  • フェルジナント2世1620-1637
  • フェルジナント3世1637-1646
  • フェルジナント4世1646-1654
  • レオポルト1世1655-1705
  • ヨゼフ1世1705-1711
  • カレル2世1711-1740
  • マリエ・テレジエ1740-1741
ヴィッテルスバホヴェ(バヴォルスコ)朝
  • カレル3世・アルブレフト1741-1743
ハプスブルコヴェ朝
ハプスブルスコ=ロートリンスカ朝
  • ヨゼフ2世1780-1790
  • レオポルト2世1790-1792
  • フランティシェク1世1792-1835
  • フェルジナント5世1835-1848
  • フランティシェク・ヨゼフ1世1848-1916
  • カレル3世1916-1918
歴代ドイツ君主・盟主
カロリング朝
  • (ピピン751-768
  • カール1世皇帝(768)-814
  • ルートヴィヒ1世皇帝814-840
  • ロタール1世皇帝840-843
  • ルートヴィヒ2世843-876
  • カールマン2世876-880
  • ルートヴィヒ3世876-882
  • カール3世皇帝876-887
  • アルヌルフ皇帝887-899
  • ルートヴィヒ4世899-911
  • 断絶
  • コンラート1世1911-918
共同王
  • (カールマン1世768-771
ザクセン朝
  • ハインリヒ1世919-936
  • オットー1世皇帝936-973
  • オットー2世皇帝973-983
  • オットー3世皇帝983-1002
  • ハインリヒ2世皇帝1002-1024
共同王
  • オットー2世皇帝961-973
対立王
  • バイエルン公アルヌルフ919-921
  • バイエルン公ハインリヒ2世984-985
ザーリアー朝
  • コンラート2世皇帝1024-1039
  • ハインリヒ3世皇帝1039-1056
  • ハインリヒ4世皇帝1056-1105
  • ハインリヒ5世皇帝1105-1125
  • 断絶
  • ロタール3世2,皇帝1125-1137
共同王
  • ハインリヒ3世1028-1039
  • ハインリヒ4世1053-1156
  • イタリア王コンラート1087-1098
  • ハインリヒ5世1198-1105
対立王
ホーエンシュタウフェン朝
  • コンラート3世1138-1152
  • フリードリヒ1世皇帝1152-1190
  • ハインリヒ6世皇帝1190-1197
  • フリードリヒ2世1197-1198
  • フィリップ1198-1208
  • 中断
  • オットー4世3,皇帝1208-1215
  • 再開
  • フリードリヒ2世皇帝(復位)1215-1220
  • ハインリヒ(7世)1220-1235
  • コンラート4世1237-1254
共同王
  • ハインリヒ6世1169-1190
  • フリードリヒ2世1194-1197
対立王
  • ヴェルフ家オットー1198-1208
  • シチリア王フリードリヒ1212-1215
  • ハインリヒ・ラスペ1246-1247
  • ホラント伯ヴィルヘルム1248-1254
大空位時代
  • ホラント伯ヴィルヘルム1254-1256
  • コルンヴァル伯リヒャルト1257-1272
対立王
  • カスティーリャ王アルフォンソ10世1257-1275
非世襲期
  • ルドルフ1世41273-1291
  • アドルフ51292-1298
  • アルブレヒト1世41298-1308
  • ハインリヒ7世6,皇帝1308-1313
  • ルートヴィヒ5世7,皇帝1314-1347
  • カール4世6,皇帝1347-1378
  • ヴェンツェル61378-1400
  • ループレヒト71400-1410
  • ジギスムント6,皇帝1410-1437
  • アルブレヒト2世41438-1439
共同王
  • フリードリヒ3世41325-1230
  • ヴェンツェル61376-1478
対立王
ハプスブルク家
  • フリードリヒ4世皇帝1440-1493
  • マクシミリアン1世皇帝1493-1519
  • カール5世皇帝1519-1556
  • フェルディナント1世皇帝1556-1564
  • マクシミリアン2世皇帝1564-1576
  • ルドルフ2世皇帝1576-1612
  • マティアス皇帝1612-1619
  • フェルディナント2世皇帝1619-1637
  • フェルディナント3世皇帝1637-1657
  • レオポルト1世皇帝1658-1705
  • ヨーゼフ1世皇帝1705-1711
  • カール6世皇帝1711-1740 | 断絶 | カール7世7,皇帝1742-1745
共同王
  • マクシミリアン1世1486-1593
  • フェルディナント1世1531-1556
  • マクシミリアン2世1562-1564
  • ルドルフ2世1575-1676
  • フェルディナント3世1636-1637
  • フェルディナント4世1653-1654
  • ヨーゼフ1世1690-1705
ハプスブルク=ロートリンゲン家
  • フランツ1世皇帝1745-1765
  • ヨーゼフ2世皇帝1765-1790
  • レオポルト2世皇帝1790-1792
  • フランツ2世皇帝(オーストリア皇帝フランツ1世)1792-1806
ライン同盟
連邦主席
  • オーストリア皇帝フランツ1世1815-1835
  • オーストリア皇帝フェルディナント1世1835-1848
  • ヨハン大公(帝国執政)1848-1849
  • オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世1850-1866
  • プロイセン王ヴィルヘルム1世(北ドイツ連邦)1867-1871
ドイツ皇帝
  • プロイセン王ヴィルヘルム1世1871-1888
  • プロイセン王フリードリヒ3世1888
  • プロイセン王ヴィルヘルム2世1888-1918
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • FAST
  • ISNI
  • VIAF
  • WorldCat
国立図書館
  • ノルウェー
  • スペイン
  • フランス
  • BnF data
  • ドイツ
  • イタリア
  • イスラエル
  • ベルギー
    • 2
  • アメリカ
  • スウェーデン
  • チェコ
  • オーストラリア
  • クロアチア
  • オランダ
  • ポーランド
  • バチカン
学術データベース
  • CiNii Books
  • CiNii Research
芸術家
  • オランダ美術史研究所データベース
  • ULAN
人物
  • ドイッチェ・ビオグラフィー
  • Trove(オーストラリア)
    • 1
その他
  • RISM
  • SNAC
  • IdRef