ヘンリク1世

ヘンリク1世
Henryk I
ポーランド大公
在位 1232年 - 1238年

出生 1163年
グウォグフ
死去 1238年3月19日
配偶者 ヤドヴィガ
子女 ボレスワフ
ヘンリク2世
コンラト
家名 シロンスク・ピャスト家
王朝 ピャスト朝
父親 ヴロツワフボレスワフ1世ヴィソキ
母親 クリスティナ
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ヘンリク1世ブロダティHenryk I Brodaty, 1163年 - 1238年3月19日)は、ポーランド大公(在位:1232年 - 1238年)。ヴロツワフボレスワフ1世ヴィソキと2番目の妃クリスティナの息子。オポーレ公ヤロスワフの異母弟。顎鬚と称された。

生涯

内政を重点的に行い、ポーランド領内へのドイツ人の植民を積極的に奨励した。その結果、ヘンリク1世が治めていたシロンスクシレジア、シュレージエン)地方の文化・経済は大いに発展する。後にこの強大になった勢力を背景に、クラクフなどを兼ね、実質的なポーランドとして君臨した。これらの所領は息子のヘンリク2世に受け継がれた。

ヤドヴィガはシロンスクの守護聖人とされている。

先代
ボレスワフ1世ヴィソキ
ヴロツワフ
1201年 - 1238年
次代
ヘンリク2世ポボジュヌィ
オポーレ公
1201年 - 1202年
次代
ミェシュコ1世プロントノギ
先代
ヴワディスワフ3世ラスコノギ
カリシュ公
1206年 - 1207年
次代
ヴワディスワフ・オドニツ
先代
ヴワディスワフ・オドニツ
カリシュ公
1234年
次代
ミェシュコ2世オティウィ
ヴワディスワフ・オポルスキ
先代
コンラト1世
ポーランド大公
1232年 - 1238年
次代
ヘンリク2世ポボジュヌィ
先代
ヴワディスワフ・オドニツ
ヴィエルコポルスカ公
(南西部のみ)

1234年 - 1238年
ポーランド王国旗ポーランド君主ポーランド立憲王国旗
伝説的な首長
半伝説的な首長
ピャスト朝
プシェミスウ朝
  • ヴァツワフ2世1296–1305
  • ヴァツワフ3世1305–1306
クヤヴィ・ピャスト朝
  • ヴワディスワフ1世ウォキェテク1306–1333
  • カジミェシュ3世ヴィエルキ1333–1370
アンジュー朝
  • ルドヴィク1世1370–1382
  • ヤドヴィガ1382–1399
ヤギェウォ朝
  • ヴワディスワフ2世ヤギェウォ1386–1434
  • ヴワディスワフ3世ヴァルネンチク1434–1444
  • カジミェシュ4世1447–1492
  • ヤン1世オルブラフト1492–1501
  • アレクサンデル1501–1506
  • ジグムント1世スタルィ1506–1548
  • ジグムント2世アウグスト1548–1572
選挙王制
初期
  • ヘンリク・ヴァレジ1573–1574
  • アンナ1575–1586
  • ステファン・バートリ1576–1586
ヴァーサ家
  • ジグムント3世1587–1632
  • ヴワディスワフ4世1632–1648
  • ヤン2世カジミェシュ1648–1666
中期
ザクセン家
レシチニスキ家
  • アウグスト2世モツヌィ1697–1706
  • スタニスワフ1世1706–1709
  • アウグスト2世モツヌィ(復位)1709–1733
  • スタニスワフ1世(復位)1733–1736
  • アウグスト3世1734–1763
ポニャトフスキ家
ワルシャワ公
  • フリデリク・アウグスト1世1807–1815
ロマノフ朝
  • アレクサンデル1世1815–1825
  • ミコワイ1世1825–1855
  • アレクサンデル2世1855–1881
  • アレクサンデル3世1881–1894
  • ミコワイ2世1894–1917
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