ボレスワフ4世

ボレスワフ4世
Bolesław IV
ポーランド大公
在位 1146年 - 1173年

出生 1120年
死去 1173年1月5日
配偶者 ヴィエルチョスワヴァ・ノヴォグロズカ
  マリヤ・ウラジミロヴナ(ガーリチ公ウラジーミルの娘)
子女 ボレスワフ
レシェック
家名 ピャスト家
王朝 ピャスト朝
父親 ボレスワフ3世
母親 サロメ・フォン・ベルク=シェルリンゲン
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ボレスワフ4世ケンジェジャヴィBolesław IV Kędzierzawy, 1120年 - 1173年1月5日)は、ポーランド大公(在位:1146年 - 1173年)。ボレスワフ3世と2度目の王妃サロメ・フォン・ベルク=シェルリンゲンの子として生まれた。ヴワディスワフ2世の異母弟、ミェシュコ3世、ヘンリク、カジミェシュ2世の同母兄。巻毛公(Kędzierzawy)と称される。

生涯

1138年に父が死ぬと、シロンスク公で異母兄のヴワディスワフ2世がポーランド大公となった。若いボレスワフ4世はマゾフシェとクヤヴィを継承し、マゾフシェ公となった。

1146年にヴワディスワフ2世を追放するとクラクフ領とシロンスクを継承し、ボレスワフ4世自身がポーランド大公となった。しかし、1163年ローマ皇帝フリードリヒ1世が外交で圧力をかけたため、甥のボレスワフ1世ミェシュコ1世兄弟にシロンスクを返還した。死後は息子レシェックがマゾフシェ公を継承したのみで、クラクフとグニェズノを継承したのは同母弟のミェシュコ3世であった。

子女

1137年プスコフ公ヴセヴォロドの娘ヴィエルチョスワヴァ・ノヴォグロズカと結婚。

先代
ヴワディスワフ2世
ポーランド大公
1146年 - 1173年
次代
ミェシュコ3世
ポーランド王国旗ポーランド君主ポーランド立憲王国旗
伝説的な首長
半伝説的な首長
ピャスト朝
プシェミスウ朝
  • ヴァツワフ2世1296–1305
  • ヴァツワフ3世1305–1306
クヤヴィ・ピャスト朝
  • ヴワディスワフ1世ウォキェテク1306–1333
  • カジミェシュ3世ヴィエルキ1333–1370
アンジュー朝
  • ルドヴィク1世1370–1382
  • ヤドヴィガ1382–1399
ヤギェウォ朝
  • ヴワディスワフ2世ヤギェウォ1386–1434
  • ヴワディスワフ3世ヴァルネンチク1434–1444
  • カジミェシュ4世1447–1492
  • ヤン1世オルブラフト1492–1501
  • アレクサンデル1501–1506
  • ジグムント1世スタルィ1506–1548
  • ジグムント2世アウグスト1548–1572
選挙王制
初期
  • ヘンリク・ヴァレジ1573–1574
  • アンナ1575–1586
  • ステファン・バートリ1576–1586
ヴァーサ家
  • ジグムント3世1587–1632
  • ヴワディスワフ4世1632–1648
  • ヤン2世カジミェシュ1648–1666
中期
ザクセン家
レシチニスキ家
  • アウグスト2世モツヌィ1697–1706
  • スタニスワフ1世1706–1709
  • アウグスト2世モツヌィ(復位)1709–1733
  • スタニスワフ1世(復位)1733–1736
  • アウグスト3世1734–1763
ポニャトフスキ家
ワルシャワ公
  • フリデリク・アウグスト1世1807–1815
ロマノフ朝
  • アレクサンデル1世1815–1825
  • ミコワイ1世1825–1855
  • アレクサンデル2世1855–1881
  • アレクサンデル3世1881–1894
  • ミコワイ2世1894–1917
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