基隆庁

基隆庁
大日本帝国台湾の庁

1901年 - 1909年
基隆庁の位置
基隆庁の位置
1908年当時の地図
政庁所在地 基隆
歴史
 - 創立 1901年
 - 廃止 1909年
行政区画 4支庁


基隆庁(きいるんちょう)は、日本統治時代の台湾の地方行政区分のひとつ。

地理

瑞芳、水返腳、金包里、頂双渓の4つの支庁および直轄区域を管轄した。

歴史

沿革

  • 1901年(明治34年)11月 - 台北県から分立し成立する[1]
  • 1909年(明治42年)10月 - 基隆庁は廃止となり深坑庁の一部と共に台北庁に編入する[1]

行政

歴代庁長

  • 山名金明:1901年11月11日 - 1906年1月26日
  • 横澤次郎:1906年1月26日 - 1908年5月23日
  • 脇本彬:1908年5月23日 - 1908年8月3日
  • 曽祢吉弥:1908年8月3日 - 1909年10月23日

脚注

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  1. ^ a b 基隆廳 (1908-07-06). 基隆廳第三統計書 
三県(民政支部)一庁(1895年 - 1897年)
  • 台北県
  • 台湾県(1895年:台湾民政支部、1896年:台中県)
  • 台南県(1895年 - 1896年:台南民政支部)
  • 澎湖島庁(1895年 - 1897年5月:澎湖列島行政庁)
六県三庁(1897年 - 1898年)
三県三~四庁(1898年 - 1901年)
二十庁(1901年 - 1909年)
十二庁(1909年 - 1920年)
五州二~三庁(1920年 - 1945年)