鈴木安孝

鈴木安孝

鈴木 安孝(すずき やすたか、1877年明治10年)9月15日[1] - 1955年昭和30年)2月27日[2])は、日本の政治家法律家衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)、秋田市長(第8代)[3]を務めた。

略歴

宮城県出身。1903年(明治36年)に和仏法律学校(現法政大学)法律科を卒業すると秋田地方裁判所判事に任官され、4年後に秋田県弁護士を開業。1913年(大正2年)に 秋田市会議員に当選(以後6期当選)して政界入りし、その後1919年(大正8年)には秋田県会議員に当選(以後3期当選)して1927年(昭和2年)に県会議長に就任。翌1928年の総選挙立憲政友会公認で出馬し衆院議員に当選、通算3期務めた。

1934年(昭和9年)に秋田市長に選出され、1938年(昭和13年)まで在任。秋田市長時代には、市工場建設奨励規程を設定して工場誘致に努め、茨島市有地を東北肥料株式会社に貸与して同地帯発展の基礎を築いた。また、秋田運河の実現に尽力し、土崎、寺内、新屋の経済提携の必要性を強調して、同地区合併の素地を作った。

その後は暫く政界から遠ざかっていたが、第1回参議院議員通常選挙に自由党公認で出馬、6年議員として当選し1期務めた。政界引退後の1954年(昭和29年)に秋田市から「最高功労者」として顕彰され、1955年(昭和30年)2月28日に死去、78歳。死没日をもって勲三等瑞宝章追贈(勲四等からの昇叙)、従四位に叙される[4]。秋田市による市葬(葬儀委員長は市長武塙祐吉)が営まれた。

息子の鈴木一も父の後を継ぐ格好で参議院議員に、更に衆議院議員を長く務めた。娘の西岡光子は東北地方初の女性弁護士で東北弁護士会連合会会長。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 衆議院『第五十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1928年、23頁。
  2. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』337頁。
  3. ^ “歴代市長および副市長(助役)の紹介”. 秋田市. 2024年4月30日閲覧。
  4. ^ 『官報』第8463号353頁 昭和30年3月19日号

参考文献

  • 『広報あきた62号』(1954.7.5)
  • 『広報あきた72号』(1955.3.1)
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
公職
先代
湊鶴吉
第14代秋田市長
1934年 - 1938年
次代
村地信夫
議会
先代
北村一男
日本の旗 参議院法務委員長
1951年
次代
小野義夫
先代
水久保甚作
日本の旗 参議院郵政委員長
1950年
次代
大野幸一
日本の旗 参議院法務委員長 (1951年)
日本の旗 参議院郵政委員長 (1950年)
官選
公選
カテゴリ カテゴリ
官選
県会議長
公選
県議会議長
  • 京野孝之助
  • 菊池時之助
  • 渋谷倉蔵
  • 谷藤征得
  • 中田直敏
  • 加賀谷保吉
  • 佐藤善治郎
  • 大塚政市郎
  • 小松武文
  • 佐藤育秀
  • 西村節朗
  • 田口鉄蔵
  • 原龍一
  • 木内主計
  • 中田初雄
  • 楢岡貞龍
  • 加藤義孝
  • 田中昌
  • 北林照助
  • 柴田康二郎
  • 谷藤昌二
  • 北林康司
  • 安杖正義
  • 津谷永光
  • 鈴木洋一
  • 辻久男
  • 中泉松之助
  • 大野忠右エ門
  • 冨樫博之
  • 大里祐一
  • 能登祐一
  • 渋谷正敏
  • 鶴田有司
  • 加藤鉱一
  • 柴田正敏
  • 北林丈正
  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、日本政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。

  • 表示
  • 編集