二神島
この項目では、二神島について説明しています。長崎県の二神島については「二神島 (長崎県)」をご覧ください。 |
二神島 | |
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所在地 | 日本(愛媛県) |
所在海域 | 瀬戸内海 |
座標 | 北緯33度55分48.4秒 東経132度31分53.4秒 / 北緯33.930111度 東経132.531500度 / 33.930111; 132.531500座標: 北緯33度55分48.4秒 東経132度31分53.4秒 / 北緯33.930111度 東経132.531500度 / 33.930111; 132.531500 |
面積 | 2.15 km² |
海岸線長 | 10 km |
最高標高 | 90.8 m |
二神島 二神島 (愛媛県) 愛媛県の地図を表示二神島 二神島 (日本) 日本の地図を表示 | |
プロジェクト 地形 | |
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二神島(ふたがみじま)とは、瀬戸内海の中部に位置する忽那諸島に属する島。島嶼群では南西に位置する。行政区画は愛媛県松山市に属する。(旧 温泉郡中島町)
自然
- 周囲 10 km
- 面積 2.15 km2
- 東西に細長い形をしており、島の南側は切り立った崖が続く。
歴史
- かつては島に松が多く、松島と呼ばれていた。
- 中世期二神氏が本島を拠点に忽那諸島を支配した。臣従していた河野氏が滅び近世になると庄官と称し、庄屋役へ転換した[1]。神奈川大学の萬井良大によるとこの二神氏は「二神某ノ口上書や豊田藤原氏子孫系図次第などにより、長門豊田氏が二神島に移って来て、二神氏を名乗ったことにより始まったと考えられてきた。しかし実際には長門豊田氏が忽那諸島で活動する以前より、二神島には二神氏がいたと思われる。そして確認できるだけでも黒子二神家・多口井二神家・豊田二神家・吉金(新田)二神家と、さまざまな家に相伝されつつも、二神家としての連続性を中世を通じて保ってきた。」[2]と、黒子、多口井、豊田、吉金など様々な系統が存在していたことが示唆されている。それらの家の家名は現在も本島に残されている。婚姻関係などを通じて下野国黒子氏の流入に伴って生じた「二神氏」が続いてきたものである[3]。
- 室町時代から江戸期にかけての文書『二神文書』が残っている。
産業
社会
- 小学校は1校。松山市立二神小学校
- 2007年度の児童3名。
- 2008年10月 児童が「二神島-歴史と芸術の島-」と題するリーフレットを作成
- 2009年4月以後から休校となっている。
- 中学校はなし。
- 人口 166人(平成22年国勢調査)
- 世帯 98戸(平成22年国勢調査)
- 瀬戸内の他の小島同様、極端に高齢化が進んでいる。2013年現在、島内に12歳未満の子供はいない。
交通
- 二神港が唯一の島外との交通手段。
- 中島汽船の、松山港(高浜港)からの西線の高速艇、カーフェリーが発着。
その他
- 漁業を中心として他の島しょから離れていたがゆえに、近代化されていない生活が色濃く残っていたことから、1972年に『ナショナルジオグラフィック』誌で大きく取り上げられた。[4]
- 日本テレビ『進ぬ!電波少年』の企画「電波少年的無人島脱出」で、挑戦者のRマニアの2人が生活した無人島は近隣の由利島であり、イカダを作って脱出し辿り着いた先が二神島である。
関連図書
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典38 愛媛県』角川書店、1981年、566頁、912頁
脚注
外部リンク
- 二神島(松山離島振興協会)
- 松山市立二神小学校
日本の有人指定離島 | |
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非実効支配下の島は除く。※印は民間人の定住者が居ない島嶼。太字は特定有人国境離島地域に指定されている島嶼。 |
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