ニック・フライ

ニック・フライ

Nick Fry
ホンダF1時代(2008年9月)
生誕 Nicholas Richard Fry
(1956-06-29) 1956年6月29日(67歳)
イングランドの旗 イングランド
サリー州エプソム
国籍 イギリスの旗 イギリス
職業 実業家
マネージングディレクター
活動期間 1977年 - 現在
著名な実績 F1「ブラウンGP」でタイトル獲得
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ニック・フライ(Nicholas Richard Fry、1956年6月29日 - )は、イングランド出身の実業家マネージングディレクター

自動車産業に携わり、大手メーカー「フォード」において役職を務める。その後F1界に転身し、モータースポーツチーム「B・A・R」「ホンダ」「ブラウンGP」「メルセデスGP」の最高経営責任者(CEO)を歴任した[1]

経歴

1977年に、ウェールズ大学を卒業し、「フォード」に入社する。セールス部門を経て、1978年に、製品開発部門へ異動となり、12年間以上にわたり、エスコートコスワースや、 RS2000などのハイパフォーマンスモデルを含む、様々なモデルの開発に携わる。1992年にはフォードPAGアストンマーティンのディレクター職に就き、DB7等を手がける。

その後、デビッド・リチャーズに誘われ、2001年1月にマネージングディレクターとして、プロドライブに入社。そこでプロドライブの成長に大きく貢献した。わずか4ヶ月で2001年分のオーダーを取り、ティックフォード社の買収を通して、プロドライブをイギリスで有力な会社へと成長させる。この功績により、フライはグループのマネージングディレクターとなり、会社のエンジニアリングとレース活動の両方を監督する。

2002年1月に、プロドライブの役職に加えて、 F1チーム「B・A・R」のマネージングディレクターに就任し、2004年末には、デビッド・リチャーズに替わって、B・A・RのCEOに就任した。

2006年、チームはホンダの100%出資による「ホンダ・レーシング・F1チーム」になったが、CEOとして留任した。同年のハンガリーGPでホンダは初勝利を飾った。2007年にはロス・ブラウンがチーム代表に就任し、フライは商業面のマネージメントを担当した。

2008年ホンダのF1撤退発表以降、ブラウンとともにチームを買収する噂が流れたが、結局買収はブラウン単独で行われ、同チームは名称を改め「ブラウンGP」となった。フライはチームに残留し、CEO職務を継続した。2009年、ブラウンGPはドライバーズ・コンストラクターズ両部門のチャンピオンを獲得した。

2009年11月にブラウンGPがメルセデス・ベンツに買収されると、ブラウン共々チームに残留し「メルセデスGP」と名称を変更した同チームでCEO職を継続した。4年目となる2013年4月にメルセデスのCEO職を退任し、トト・ヴォルフが後任を務めることになった。その後は少なくとも同年末までコンサルタントとして、営業面のサポートを続ける[2]

その後はモータースポーツ界から離れ、eスポーツの分野に進出。2018年に、ロンドンに本部を置くeスポーツ組織「Fnatic」の商業戦略責任者に就任した[3]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ “ニック・フライとスーパーアグリF1撤退”. F1-Gate.com (2008年5月9日). 2018年12月23日閲覧。
  2. ^ "メルセデスAMG、ニック・フライのCEO退任を正式発表". Topnews.(2013年3月23日)2013年5月20日閲覧。
  3. ^ “Fnatic Brings Aboard Former CEO of Mercedes AMG Formula One Team”. The Esports Observer (2018年12月18日). 2018年12月23日閲覧。

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、ニック・フライに関連するカテゴリがあります。
ドイツの旗 メルセデスAMGペトロナス
2010年 - 現在
ワークスチーム
チーム首脳
  • オーストリアの旗 トト・ヴォルフ (チーム代表 / MGP社CEO / 共同オーナー)
  • ドイツの旗 マーカス・シェーファー(ドイツ語版) (MGP社監査役会会長 / メルセデス・ベンツ・グループ取締役{開発部門責任者})
主なスタッフ
元関係者
現在のドライバー
過去のドライバー
車両
現在のスポンサー
関連組織
1994年 - 現在
エンジン/PU供給
関係者
  • イギリスの旗 ハイウェル・トーマス (マネージングディレクター)
  • ドイツの旗 マーカス・シェーファー(ドイツ語版) (HPP社取締役会会長 / メルセデス・ベンツ・グループ取締役{開発部門責任者})
元関係者
供給先
関連組織
1952年 - 1955年
ワークスチーム
主な関係者
主なドライバー
F1用車両
スポーツカー
  • 300SL(英語版) (W194)
  • 300SLR (W196S)
関連組織
関連項目
※役職等は2024年2月時点。 ※太字のドライバーはメルセデスにおいてドライバーズワールドチャンピオンを獲得。
イギリスの旗 ブラウンGP
首脳
チーム関係者
ドライバー
テスト/リザーブドライバー:
※太字はブラウンGPにおいてドライバーズワールドチャンピオンを獲得。
車両
スポンサー
関連項目
日本の旗 ホンダF1
第五期
2026年 -
パワーユニット供給
主な関係者

(TBD)

第五期



供給先
関連組織
HRC
2022年 - 2025年
パワーユニット供給
主な関係者
元関係者
供給先
関連組織
第四期
2015年 - 2021年
パワーユニット供給
主な関係者
第四期
供給先
関連組織
第三期
2006年 - 2008年
ワークスチーム

2000年 - 2008年
エンジン供給
主な関係者
日本の旗 本田技研工業
  • 日本の旗 福井威夫
  • 日本の旗 和田康裕(英語版)
  • 日本の旗 村松慶太(英語版)
日本の旗 本田技術研究所
イギリスの旗 HRD※1
イギリスの旗 HRF1※1
第三期


ドライバー
テスト/リザーブドライバー:
車両
主なスポンサー
エンジン供給先
関連組織
HRD
1998年 - 1999年
試作・試走のみ
主な関係者
車両
関連組織
無限ホンダ
1992年 - 2000年
エンジン供給
主な関係者

エンジン
供給先
関連組織
本田技術研究所
1991年 - 1994年
試作・試走のみ
主な関係者
  • 日本の旗 橋本健
  • 日本の旗 瀧敬之介
車両
  • RC1 (RC-F1 1.0X)
  • RC1B (RC-F1 1.5X)
  • RC2 (RC-F1 2.0X)
関連組織
第二期
1983年 - 1992年
エンジン供給
主な関係者
第二期
エンジン
供給先
関連組織
関連項目
第一期
1964年 - 1968年
ワークスチーム
主な関係者
日本の旗 本田技研工業
日本の旗 本田技術研究所
イギリスの旗 ホンダ・レーシング
第一期
ドライバー
テスト/リザーブドライバー:
車両
主なスポンサー
関連組織
関連項目
関連項目
※ 第2期・第3期・第4期の「主な関係者」は、基本的に各部門の「長(ディレクター)」以上にあたる人物のみに絞って記載(多数に及ぶため)。
※ 「関連組織」の( )には略称、[ ]には関連する下部組織を記載。
※1 ホンダ本社の役職者と本田技術研究所の人物を除く(兼務者が多数に及ぶため)。
※2 ホンダ所有のサーキット。第1期と第2期に主要なテストコースとして用いられた。
※3 ホンダ所有の展示施設。第1期から第4期の車両を所蔵(基本的に動態保存)している。
イギリスの旗 B・A・R
主な関係者
BAR
レイナード
ホンダ / HRD
プロドライブ
ドライバー
テスト/リザーブドライバー:
F1車両
主なスポンサー
関連組織
※出身組織(本来の所属組織)別に分類。