ホンダ・RA270
カテゴリー | F1 |
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コンストラクター | ホンダ |
先代 | - |
後継 | ホンダ・RA271 |
主要諸元 | |
エンジン | ホンダ RA270E 1,495 cc (91.2 cu in), 60度, V12, NA, 横置き |
主要成績 | |
チーム | ホンダ R&D Co. |
ドライバー | ジャック・ブラバム |
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ホンダ・RA270は、ホンダが開発したフォーミュラ1カーの試作車(プロトタイプ)。1964年2月に初走行した。
概要
2輪レースの世界で成功を収めたホンダはF1用エンジンを開発し、世界選手権に参戦することを決定した。最初のエンジン、RA270Eの開発は1962年8月に始まり[1]、1963年中に組み上げられベンチテストが繰り返され、次の段階として実走テストが行われることとなった。当初はホンダが購入したクーパー・T53に搭載するよう計画されたが、クーパーにV型12気筒エンジンを横置きに搭載するには無理があったため、それを参考にオリジナルのテストベッドとしてRA270を作製することになった。設計は2輪の車体を専門としていた馬場利次が担当し[1]、1962年11月より開発に着手し、1963年12月末に完成した[1]。
車名の「RA270」のうち、RAは"Racing Automobile"(レーシングカー)のイニシャルであり、270は「最高速270km/hを目指す」という開発陣の意気込みを表したものである[2]。
シャーシはエンジンの完成に間に合わせることを優先しており、半年後に完成した実戦用マシンRA271のような新技術は盛り込まれていない。構造はモノコック式ではなく、クーパーと同じパイプフレーム式である。エンジンからは12本のエキゾーストパイプが独立して車体後部に伸びているが、これものちに集合式に改められている。車体は金色に塗装されていたが、これはホンダの創業者本田宗一郎が好きな色であったとのことである[3]。当初は塗装ではなく、ボディに金箔を貼ることも望んでいたという[4]。
RA270Eエンジンはチーム・ロータスに独占供給される予定だったが、1964年1月にロータス側から契約解消を告げられたため、ホンダはRA271を作製して独自参戦することになる。RA270は荒川テストコースでシェイクダウンされたのち、来日した元F1王者ジャック・ブラバムによって鈴鹿サーキットで実走行テストが繰り返された。なお、1964年2月に鈴鹿サーキットで行われたシェイクダウンでドライバーを務めたのは、高橋国光と古我信生である。テストでの使用後は本田の指示により破棄され、現車は存在しない。
走行中の映像も残っていないとされてきたが、1964年2月の鈴鹿サーキットでのシェイクダウンの映像を記録したビデオテープが、2013年に埼玉県和光市の本田技術研究所倉庫で見つかり、2015年6月に報道陣に公開された。なおこの映像では、当時のホンダ四輪全体の開発責任者である中村良夫が自らドライバーを務めている[5]。
参照
参考文献
- 「F1倶楽部 Vol.7 特集 ニッポンのF1」 双葉社、1994年
- 「レーシングオン No.458」 三栄書房、2012年
- 「GRAND PRIX SPECIAL 2006年3月号」 ソニー・マガジンズ、2006年
外部リンク
- Tiroirs de linsolite: Honda RA270 - leblogauto.com(フランス語)
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第五期 2026年 - パワーユニット供給 |
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HRC 2022年 - 2025年 パワーユニット供給 |
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第四期 2015年 - 2021年 パワーユニット供給 |
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第三期 2006年 - 2008年 ワークスチーム 2000年 - 2008年 エンジン供給 |
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HRD 1998年 - 1999年 試作・試走のみ |
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無限ホンダ 1992年 - 2000年 エンジン供給 |
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本田技術研究所 1991年 - 1994年 試作・試走のみ |
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第二期 1983年 - 1992年 エンジン供給 |
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第一期 1964年 - 1968年 ワークスチーム |
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関連項目 |
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※ 第2期・第3期・第4期の「主な関係者」は、基本的に各部門の「長(ディレクター)」以上にあたる人物のみに絞って記載(多数に及ぶため)。 ※ 「関連組織」の( )には略称、[ ]には関連する下部組織を記載。 ※1 ホンダ本社の役職者と本田技術研究所の人物を除く(兼務者が多数に及ぶため)。 ※2 ホンダ所有のサーキット。第1期と第2期に主要なテストコースとして用いられた。 ※3 ホンダ所有の展示施設。第1期から第4期の車両を所蔵(基本的に動態保存)している。 |