御名部皇女

御名部皇女
時代 飛鳥時代 - 奈良時代
生誕 不詳[1]
薨去 不詳
別名 御名部内親王
父母 父:天智天皇、母:蘇我倉山田石川麻呂娘の姪娘
兄弟 弘文天皇建皇子川島皇子志貴皇子大田皇女持統天皇御名部皇女元明天皇山辺皇女明日香皇女新田部皇女大江皇女泉皇女水主皇女
高市皇子
長屋王
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御名部皇女(みなべのひめみこ)は、天智天皇の皇女で、母は蘇我倉山田石川麻呂の娘の姪娘元明天皇の同母姉。高市皇子の正妃となり、長屋王を生む。大宝律令施行後は御名部内親王とも記述される。

没年は未詳であるが、息子の長屋王が神亀5年(728年)に奉納したと言われる長屋王願経(神亀経)の釈文(写経の目的は父母の菩提を弔う、とする)から、この年以前には死去したものと考えられる。

中継ぎとして即位した妹の元明天皇を激励する歌が『万葉集』にある。

御名部皇女に関する歌

  • 和銅元年 元明天皇の御製
    • 大夫(ますらを)の鞆(とも)の音すなり物部(もののふ)の 大臣(おほまへつきみ)楯立つらしも [万葉集 巻1-76]
  • 御名部皇女の和(こた)へ奉れる御歌
    • 吾が大君ものな思ほし皇神の 継ぎて賜へる我なけなくに [万葉集 巻1-77]

血縁

脚注

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  1. ^ 同母妹元明天皇の生年・斉明天皇5年(661年)以前。

関連項目

ウィキクォートに御名部皇女に関する引用句集があります。
内親王(飛鳥時代 - 江戸時代)
大宝律令施行(701年)以後で、内親王と公称した人物とする。
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  • 光子内親王 (光厳天皇皇女)
  • 治子内親王
  • 見子内親王
  • 珪子内親王
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